松雄の陳述書は真実を語ったもの?福岡での取り調べ~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#21
焦点は、「命令なのか、自由意志なのか」
松雄は、暴行される飛行士を見て、「苦から救いだしてやるために刺した」と供述している。命令があったのか、なかったのか。ここが重要部分で、さらに念入りに聞かれている。 問 貴方は士官又は下士官から飛行士を刺殺せよと直接命令を下されたか、又は、自分の自由意志でやったか。 答 何も直接命令を受けない。自分は自発的に責任を負った。 問 貴方が刺殺をやる前に榎本大尉によって刺殺行為について何かの命令、又は指示を聞かなかったということは確かか。 答 はい。榎本中尉から何も命令または指示を聞かなかった。しかし、飛行士が杭に縛られている時、榎本中尉が話していたけれども、自分は彼が何を言ったか聞き取ることができなかった。自分の周りの兵がものを言い、その場は昂奮と混乱とで一杯だったから。
刺殺は計画的なものか?
問 貴方が飛行士を突き刺す前、誰が飛行士の一番近くに立っていたか。 答 70名ばかりが現場にいた。自分が刺殺した際、榎本中尉は飛行士の左側数フィートの所に立ち、炭床兵曹長と北田兵曹長が右側に立っていた。 問 貴方が刺殺をやる前に、このような殺し方をすることが予め計画されていたのを知っていたか。 答 はい。 問 銃剣刺殺をやることを初めて知ったのは何時か。どんな徴候があったか。 答 初めて現場についた時に自分は20~30名の兵が小銃に剣を付けてきているのを見た。一方で、飛行士は杭に縛られていた。自分はK兵曹から「以前の空襲で死んだ田口隊の兵の仇討ちの為に、飛行士を銃剣刺殺する」と聞いた事を信じた。 問 ほかの兵は、刺殺は自発的にやられたか、否か。 答 いろいろの場合があるだろう。自分は知らない。しかし、榎本中尉が数名の者に「出て突け」「誰か模範を示せ」と言っているのを聞いた。 問 およそ何人くらいが刺殺に参加したか。 答 二十人ばかり。 問 あなたの陳述になお、付け加えることがあるか。 答 いいえ。 1947年2月3日の陳述書はここまでで、藤中松雄の署名で終わる。この陳述書の内容は、果たして、真実なのか。次回、もう一通の陳述書を検証するー。 (12月22日公開のエピソード22に続く) *本エピソードは第21話です。