52歳三浦“カズ”がやっと令和初陣。62分間のプレーに何を感じたか?
左腕に巻かれた赤いキャプテンマークが、ホームのニッパツ三ツ沢球技場のカクテル光線に映える。仙台大学(宮城県代表)と対峙した、10日の天皇杯全日本サッカー選手権大会2回戦。現役最年長のJリーガー、52歳のFW三浦知良(横浜FC)がピッチに帰ってきた。 公式戦の舞台に立つのは、先発して後半7分までプレーした4月7日のアビスパ福岡との明治安田生命J2リーグ第8節以来、実に94日ぶりとなる。同18日の練習中に左太ももを負傷し、治療とリハビリが予想以上に長引いてしまった間に平成時代が幕を降ろした。 実戦復帰を果たしたのは後半途中から約30分間プレーした、6月30日のY.S.C.C.横浜(J3)との練習試合。主力と控え組の混成メンバーで先発を勝ち取った天皇杯初戦は、昭和時代から波瀾万丈に富んだサッカー人生を駆け抜けてきたレジェンドにとって、令和時代における待望の初陣となった。 「フィジカル的なものや試合勘が、どの程度なのか自分でもよくわからなかった。60分くらいまでだろう、と思っていたので、チームメイトに上手く助けてもらいながら、そこまで何とかプレーできたことが(個人的には)今日の一番の収穫だったと思っています」 カズが予想していた通り後半17分に、17歳のFW斉藤光毅との交代でベンチに下がるまで、慣れ親しんだ最前線のフォワードではなく[4-2-3-1]システムのトップ下でプレーした。しかし、試合は序盤から仙台大学に押し込まれる展開が続き、何度も決定的なピンチを迎えた。 横浜FCのボランチに入った、38歳の松井大輔をして「ボールが落ち着くところがなく、サイドでも起点が作れなかった」と反省させたように、前半はほとんど攻撃の形を作れなかった。カズも1トップの瀬沼優司と連携して、相手にプレスをかける役目に追われた。
仙台大相手に後半逆転勝利
もっとも、予想していた展開でもあった。Jクラブにとっての天皇杯初戦は、格下のはずの大学勢や地域リーグ、あるいはJFL勢となるほど苦戦を強いられる傾向が強い。今大会でも名古屋グランパスが鹿屋体育大学(鹿児島県代表)、湘南ベルマーレがJFLのヴィアティン三重(三重県代表)、北海道コンサドーレ札幌が同じくJFLのHonda FC(静岡県代表)にそれぞれ完敗している。 カズ自身もほろ苦い黒星を味わわされている。Jリーグが産声をあげる前の平成2年12月16日。場所も同じ三ツ沢球技場で行われた天皇杯2回戦で、当時カズが所属していた日本リーグの雄、読売クラブ(現東京ヴェルディ)はPK戦の末に国士舘大学の前に敗れ去っている。 「僕がブラジルから帰ってきて出場した最初の天皇杯で、ラモス(瑠偉)さんをはじめみんな出ていたのに負けましたからね。大学生のチームはいつも勢いがあるし、僕たち(Jクラブ)にとっての天皇杯初戦への入り方は非常に難しいものになると思っているので」 9日の前日練習を終えた後に下平隆宏監督の許可を得て、選手だけの青空ミーティングを開催した。練習を通してほんのわずかながら、どこか弛緩した雰囲気を感じたのだろう。国士舘大学にまさかの苦杯をなめさせられた経験談などを伝えながら、チーム内のメンタルを引き締めた。 「プロである以上は技術や戦術、経験は大学生よりもある。それでもメンタルの部分が充実していなければ、カテゴリーが下のチームにも負けてしまうのが天皇杯の初戦だと思う。だからこそ気持ちの面で絶対に気の緩みが出ないように、試合への入り方に気をつけようと伝えたけど、前半は相手の勢いに押されてペースを握られてしまった。最後は力の差が出たと思うし、勝ちにこだわってプレーすることが一番大事だけど、もうちょっとしっかりしたサッカーをやりたかった、というのはありますね」 反省の弁とともに振り返った前半を、何とかスコアレスで折り返しても悪い流れは変わらない。ついにはセットプレーから先制を許した後半3分の時点でグランパス、この日にひと足早く開始された一戦で法政大学(シード)に完敗したヴェルディに続いて、大学生にジャイアントキリングを起こされる不穏な雰囲気がスタジアム内に漂い始めた。