<マジックの裏側・木内野球を語り継ぐ>2003年夏優勝・松林康徳部長/中 8強達成後、チーム引き締め /茨城
◇ノーサインでいいか? 「今年の夏で辞める」。2003年1月6日、新年の初練習を前に木内監督は勇退の意思を明かした。息をのむ選手らに「最後だから甲子園を狙ってみようかと思う」と呼びかけた。 松林は再び驚いた。これまで「大人を動かすのは生徒。お前らが甲子園に行きたいならサポートするが、行きたくないならサポートしない」と話していた監督が甲子園を狙うという。ラストイヤーに懸ける思いを感じ、松林らは「1・6のミーティングを忘れない」と大書したTシャツを作って合言葉にした。 しかし夏の茨城大会を前に主将に就くと、重圧を感じるようになった。世間の注目が高まる中、甲子園に行けなかったらどうなるのか。考えたくないイメージが頭をよぎる。敗退する夢を見て何度も跳び起きた。 茨城大会を勝ち抜いて甲子園出場を決めると、目標をベスト8に据えた。8強入りすれば秋の国体出場が決まり、木内監督ともう少し長く野球ができるという考えだ。チームは1、2回戦を突破。3回戦・静岡戦も快勝して目標を達成した。 すると、木内監督は準々決勝の鳥栖商(佐賀)戦を前に選手に尋ねた。「バントや盗塁のサインで勝ち上がったが、お前らが目立ってない。国体も決まったし、準々決勝はノーサインでいいだろう?」。松林は「ここまで来たら優勝したい。サインを出してください。必ず成功させます」と訴えた。チームは再び引き締まった。 試合は三回に鳥栖商が1点を先取。その裏、木内監督が矢継ぎ早にサインを送った。無死二塁から宮田はスリーバント。これが内野安打となり一、三塁とすると、続く磯部が初球スクイズを決めた。さらに泉田の適時三塁打で逆転に成功した。 四回は送りバントで揺さぶり、相手投手をKO。六回はスクイズとバント内野安打で加点した。「雨模様でグラウンドが悪く、湿気があってボールが飛ばない。状況判断の結果のバント作戦」と松林は種明かしする。 各選手は宣言通りにサインをやり遂げた。ただ、松林だけは振るわなかった。「今大会初めて先制されて、負けるのではと慌ててしまった」という。ポップフライを何度も打ち上げ、ダッグアウトで木内監督に「すっきりしたいから殴って」と顔を突き出した。「もちろん断られました。でも、それくらい混乱していた」。ラストイヤーの重圧は計り知れないものだった。(敬称略) ……………………………………………………………………………………………………… <第85回全国高校野球> ▽準々決勝 鳥栖商 001000000=1 00210200×=5 常総学院