最年少当選25歳議員「立場が違う」発言に同志コメンテーター陣から批判。ずるい自己正当化と保身の論法とは
「自民党じゃないとできない」変わりっぷりに驚き
そうした背景があるからこそ、大空氏を知る人はその変わりっぷりに驚いたのでしょう。 選挙期間中に雑誌『AERA』の取材を受けた際には、「野党と一緒に孤独対策をやってきても一緒に仕事ができなかった。つまり、何もやってくれなかったんですよ。(中略)僕は本当にそこで野党に失望しました。自民党じゃないとできないと思いました。困った人に手を差し伸べるのが真の保守政治だと思います」とまで言い切っていたのだから恐れ入ります。 いずれにせよ、大空氏は自民党所属の国会議員になりました。東国原氏も言うように、今後はそのような思想や発言の変化も踏まえ、有権者が審判を下していくようになるのでしょう。 こうして批判にさらされている大空氏の発言ですが、では具体的に何が問題だったのでしょうか? 改めて彼のコメントのロジックを見ていきたいと思います。
自分の話を、政策実務の難しさにすりかえ
まず、大空氏が政治家とコメンテーターとでは立場が違う、よって表現の仕方やアプローチが変わるのも仕方ない、と語ったこと。それ自体は正しいし、率直な感想であると思われます。 けれども、気になるのは、夫婦別姓や同性婚について自らの意見を明らかにしないことや、コメンテーターという仕事に張り合いが持てなくなったことを、政策遂行という実務の難しさと意義深さの話にすりかえていることです。 そして、その困難さと崇高(すうこう)さを担保してくれるのが政権政党たる自民党である、という裏付けにもなっている。 二つの異なる次元の話を用いて、質問に答えることを周到に回避しているのですね。
“政治家たるもの”を客観的に語り、変節したことを正当化する論法
そして、そのすりかえたことすらも、引きの視点のコメンテーター的な分析と、安全地帯からの客観性によって評論している姿勢が、激しい怒りを買っているのではないでしょうか。 “政治家・大空幸星”を分離させて自らの分析対象にすることで、変節したことを正当化する論法を編み出しているのですね。 にもかかわらず、大空氏本人は狡猾(こうかつ)なロジックを駆使していることに無自覚なようです。なぜならば、それを「個人としてコメンテーター人生が嫌になった」という追い詰められたがゆえの告白という形で、自身の内面の問題として語っているからです。 そのように、“人間・大空幸星"にとって切実であるとする言い回しで脚色をすることで、“自民党の政治家・大空幸星”を固く保護しているというわけです。この自己保身の姿勢は、放送中に批判にさらされた際にのこした「じゃあ、帰りましょうか」との捨てゼリフによくあらわれています。 相手の追及からするりと身をかわす話法を瞬時に繰り出す賢さには感心するばかりですが、それは諸刃(もろは)の剣となるのではないだろうか? 余計なお世話ですかね。