成功の確率わずか1% 幕府も公認「敵討」は、大ヒットかわら版の鉄板ネタ
時代劇によく登場する敵討(かたきうち)シーン。親を殺された姉弟が憎き敵を探し求めて、ようやく見つけたと思ったら、あまりにも強すぎた……。哀れに思った侍が助太刀して敵討が達成されたときの爽快感といったらほかに比になるものはありません。そして、失敗してしまったときの虚しさ、悔しさは涙を誘います。 時代劇ファンにはたまらない敵討エピソードは、もちろん江戸の庶民にも人気がありました。ストーリー性の高い敵討を報じたかわら版は飛ぶように売れたため、かわら版屋も我さきにとこぞって取材をし、記事を書いたそうです。ヒット必至のネタを扱ったかわら版から読み取れる、江戸時代の敵討の実情と庶民の関心事を大阪学院大学の准教授、森田健司さんが解説します。
かわら版の鉄板ネタ「敵討」
1836(天保7)年7月17日正午ごろ、江戸の下谷山本町で、一人の男が殺された。 その遺体は、右の肩から袈裟懸けに斬られており、強い殺意に基づく一撃で絶命させられたことが窺える。被害者の名は由蔵。当地で大工をしている、由兵衛という男の息子だった。 役人が遺体を検分に来たとき、その傍には若い武士と、年老いた女性がいた。川合惣左衛門の息子と、その母親である。二人は旅姿で、血の海に沈む由蔵を見下ろしたまま、屹立(きつりつ)していた。 番屋に二人を連れて行って事情を問いただしたところ、惣左衛門の息子はこんな話をした。 自分の父親は、昨年、往来で由蔵に襲われ、殺された上に所持金を奪われた。強盗殺人である。自分と母は、その事件が発覚してすぐ、由蔵の行方を追って旅に出た。なかなか見付け出すことができずに難儀していたが、その中で、興味深い情報を掴んだ。それは、由蔵の父である由兵衛が、転宅するというものである。新しい家を見るために、由蔵が戻ってくるかも知れないと、自分たちは彼の実家の前で見張っていた。果たして、そこに由蔵が帰ってきたのである。かくして、自分たちは本懐を遂げるに至ったのだ、と。 役人は、惣左衛門の息子の話を聞いて、大いに感心した。そして奉行所に届け出て、彼らは無罪放免となる。この話は、語り広められ、惣左衛門の息子とその母親は、大きな名声を得たという。 冒頭に掲載したかわら版は、この下谷山本町で起きた敵討を報じた一枚である。斬られて身体から血が吹き出している由蔵や、怒りに任せて刀を振り下ろした惣左衛門の息子、そして少し寂しげな顔の彼の老母も、しっかり描かれている。 このかわら版は、それはもう、飛ぶように売れたことだろう。敵討が達成されたことを知ると、かわら版屋は競って情報を集め、すぐに商品にした。幕府が強く禁じていた心中と同じぐらい、敵討の刷り物は売れたからである。つまり敵討は、かわら版にとって「鉄板ネタ」の一つだった。