日本に“食べられるウエディングケーキ”を広めたい! 元・ラガーマンのパティシエが一念発起
株式会社アニバーサリーの代表取締役でパティシエの本橋雅人さん、ブランドマネージャーの前島ゆみさんが、上柳昌彦アナウンサーがパーソナリティを務める、ラジオ番組「上柳昌彦 あさぼらけ」内コーナー『食は生きる力 今朝も元気にいただきます』(ニッポン放送 毎週月・金曜 朝5時25分頃)にゲスト出演。本橋さんが、ラガーマンからパティシエに転身した経緯や、1年がかりで準備しているというクリスマスケーキ作りについて語った。
パティシエ・本橋雅人さんは、埼玉県のラグビーの名門高校の出身で、そのまま大学でもラグビーを続けていたら、日本代表にもなれただろう、と言われるようなラガーマンだったが、心機一転。『パティシエになろう!』と決意して高校卒業後はラグビーをやらず、「スリジェ」「マルメゾン」「銀座 カフェブラン」のチーフパティシエを経て、1987年に単身渡英。 イギリスの伝統工芸菓子・シュガークラフトなどの技術を学び、帰国後、1990年に東京都目黒区にウエディングケーキの専門店「アニバーサリー」をオープンした。
日本に、食べられるウエディングケーキを!
上柳:パティシエの本橋さんの指を見ますと、ゴツゴツとしていて『ラガーマンの指だな』と思うんですが、ケーキに飾るバラの形のデコレーションや、クリームの飾りつけなどを見ると、本当に信じられないような細かい作業をされていて。 前島さん:そうですね。今でも衰えず、すごく細かい作業をしていますね。本人も、細かい作業がすごく好きだと話しています。 上柳:1980年代、90年代のウエディングケーキというと、ケーキ入刀でナイフを入れるところだけが本物のケーキで、あとは食べられない作り物なんですよね? 前島さん:そうですね、当時のウエディングケーキといえば、イミテーションだったんです。なので、本橋はイギリスに行って『食べられて、それでいて美しいウエディングケーキを日本で広めたい』と思い、食べられるウエディングケーキを広めました。 上柳:イギリスの方ですと、3段のウエディングケーキにはそれぞれ意味があって、一番下はご列席いただいた皆さんとシェアして食べるもの。2段目は、列席できなかった方に後で配るもの。一番上は何年か後に食べるものだそうですね。 前島さん:はい、そういう伝統となっています。 上柳:だから一番上は、お砂糖の成分が多いので何年も保存ができると。この食べられて美しいウエディングケーキ、最初はなかなか理解してもらえず苦労されたそうですが、今は多くの方に知られていますよね。