「大阪球場に無数の懐中電灯が…」ヒデキなくして今日の推し活はない?ヒデキの伝説をまとめようじゃないか
「ペンライトの起源は誰か問題」
さあ、プロローグが長すぎたが、ここからが本編、今年の夏のヒデキトレンドの振り返りをしていこう。まずは、7月上旬、Xにて「ペンライトの発祥」について盛り上がり、西城秀樹がトレンド入り&祭り状態となった。このペンライト発祥エピソードがすさまじくエモいので、改めて記そう。 1974年、大阪球場コンサートの夜公演を控え、ヒデキがラジオ番組でこう言ったのだ。 「夜公演だけど、客席のみんなの顔が見たいから懐中電灯を持ってきて……」 うおぉぉ50年前の出来事だと分かっていても、ヒデキの声で脳内再生され、テンションがぶち上がる! 持っていきます持っていきますッ、なんなら蛍光灯も持っていきますとも(←電源がないのでただの円と棒だ)! ペンライト文化がはじまる瞬間、懐中電灯が輝いた、ヒデキの大阪球場コンサートはどれだけ素晴らしかったことだろう。行かれた方が本当に羨ましい。歴史の証人だ。 私も参加したかった(泣)。ヒデキに自分を見せたくて、必死で顔の下から懐中電灯で照らし、納涼大会みたいになっていただろう。いや、それでもヒデキは叫んでくれたはず。 「君の顔が見えるよ。ありがとう」と! それ以降、コンサートではセロハンを巻いたライトや豆電球が定番となり、ケミカルライト(今でいうサイリウム)は80年代から物販で売られるようになったという。私がサイリウムを初めて使ったのは2019年の西城秀樹のフィルムコンサート。折って使うと知らず、スイッチを探してオロオロしたが、80年代から一般普及していたとは……! 推しの力は科学を進化させる。
『ブロウアップ ヒデキ』の衝撃
もとを辿れば、ソロ歌手として大規模野外コンサートを日本で初めて行ったのもヒデキ。そこで、あのだだっぴろいスペースでファンを喜ばせるために、これまでになかった演出をあれこれと生み出したのだ。 ペンライトの他にも、クレーンとゴンドラの使用もヒデキが初である。今では大規模なコンサートで多用されているが、昭和の時代、あれを演出で使おうと思った発想がすごい、というかもはや怖い。実際、当時の映像に残されているが、手探り感と手作り感がすごくてハラハラする! 7月26日にBS松竹東急で放送され、これまたトレンドに入った映画『ブロウアップ ヒデキ』は、1975年に開催された「西城秀樹・全国縦断サマーフェスティバル」の様子に密着したドキュメンタリー。富士山麓に設置された野外ステージで、巨大クレーンに吊り下げた籠のようなものに乗って歌うシーンがあるが、怖い! 籠、ガスガス揺れてるし(泣)。 このクレーン演出は野外ライブの定番となり、マネージャーの方もゴンドラに同乗し、酸素ボンベを彼に渡していたというから、嗚呼、内助の功……。高所恐怖症の友人が「ヒデキはその魅力と高所パフォーマンスで私を殺しにかかる」と言っていたが、至極名言である。 しかも、ヒデキは実は高所は苦手だと、あるインタビューで語っていた。 どの席のファンにも、自分の姿をできるだけ近くで見せるため――。その思いが、彼を苦手な高所へと飛ばせたのだ。