70年目の広島・長崎「原爆の父」の後悔 早稲田塾講師・坂東太郎の時事用語
ナチスに対抗すべく、愛国者としてマンハッタン計画に参加する前のオッペンハイマーは、30年代の一時期左翼系の知識人と交流していたほか、弟や妻が共産党員や元党員であったなどの行動が米連邦捜査局(FBI)などの尾行や盗聴で明らかにされ、「スパイ」の疑いをかけられました。結局、危険人物とのレッテルを貼られ、公職から追放されてしまいます。そのまま静かな一学究に戻り、67年に死去しました。 直前の63年、民主党のジョンソン大統領がアメリカの物理学に貢献した者に与えられるエンリコ・フェルミ賞を授与して名誉を回復したのが、せめてもの救いでした。
《「我は死神なり、世界の破壊者なり」》
後年になって核実験を振り返って回想した言葉として有名です。ヒンズー教の聖典の一節から引き出したとされています。「原子力は生と死の両面を持った神である」とも述べています。 オッペンハイマーは原爆投下には賛成したし、製造そのものを後悔した様子もありません。ナチスに対抗するという信念は間違っていなかったし、他に選択肢もなかったと。では何を後悔したのかというと、はっきりしたことは分かりませんが、原爆を生み出した行為自体を罪として抱えていたのではないでしょうか。 「破壊者なり」の言葉の前に述べた「世界は今までと同じ世界ではなくなった」が、それをうかがわせます。国際管理を訴えたのと合わせて考察すると、核兵器を二度と使わせないようにしようというのが「原爆の父」としてできる、せめてもの罪滅ぼしと考えていたのかもしれません。
------------------------------------------------- ■坂東太郎(ばんどう・たろう) 毎日新聞記者などを経て現在、早稲田塾論文科講師、日本ニュース時事能力検定協会監事、十文字学園女子大学非常勤講師を務める。著書に『マスコミの秘密』『時事問題の裏技』『ニュースの歴史学』など。【早稲田塾公式サイト】