中日・細川成也、「いつも怒られてばかり」の恩師からの電話は初めての誉め言葉「もう大丈夫や」
◇ドラ番「蔵出し秘話2024」=3= 自主トレからキャンプに公式戦…といかなる時も竜戦士を追い続けた本紙ドラ番記者6人による、とっておきの話「蔵出し秘話」。6回連載の第3回は長森謙介記者。細川成也とのエピソードをつづります。 4月24日。東京の宿舎にいた細川のスマートフォンが鳴った。液晶に映る名前を見て思わず背筋が伸びる。相手は茨城・明秀学園日立高の金沢成奉監督。「いつも怒られてばかり」と昔を振り返る竜の背番号55の脳裏によぎったのは、恩師からの厳しい言葉。恐る恐る通話ボタンを押した。 人生を変えてくれた恩師だ。2013年。中学3年のとき、青森・光星学院高(現・八戸学院光星高)で巨人・坂本らを育てた金沢監督が茨城にやってくる話を耳にした。指揮官を慕って入学したが、周りは県外から推薦入学した猛者ばかり。「最初は存在を知られてなかった」。その他大勢の一人に過ぎなかった。 才能を見いだされたのは入学から2カ月後。練習試合の合間に素振りをしていたとき、偶然、指揮官が通りかかった。「今まで見たことないスイングスピード。彼はものにせなあかんと思った」と金沢監督に言わしめ、1年夏から付きっきりの打撃指導が始まった。 恩師との2年間は、前進すれば、後退の繰り返し。「僕が不器用でいろんな練習をしました」。ノーステップ、すり足、バットを肩にかついだまま振り出す打法などを試行錯誤。「何でできひんのや!」と関西弁の大きな声が暗いグラウンドに響くのが、日常だった。 容赦なく飛んでくる叱責(しっせき)はプロ入り後も変わらない。毎年オフに母校で練習するたび、「お前の打撃はプロ野球選手やない!」と言われ、活躍した23年オフも厳しい言葉は続いた。 誰だって苦言に耳をふさぎたくなる。逃げたくもなる。だが、細川が叱責を受け入れるのは、恩師が誰よりも自分のことを案じてくれていると知っているから。22年オフに現役ドラフトで中日入りが決まると、金沢監督は東北福祉大の後輩に当たる和田前打撃コーチに「細川のことをよろしく頼む」と真っ先に連絡してくれた。そんな師に今のありのままの姿を見せに、毎年母校に足を運ぶ。 迎えた24年。4月23日の巨人戦(ひたちなか)で初めて金沢監督を試合に招待。目の前で5回に山崎伊から左前打、9回には大勢の156キロを右翼線への二塁打にした。そして冒頭の場面。受話器の向こうから聞こえたのは初めて聞く優しい口調。「きのうの9回の打撃を見て確信した。もう大丈夫や」。一瞬、頭が真っ白になった。「僕、金沢監督から初めて褒められました」 12月5日。母校での講演後、金沢監督はこう諭した。「お前は不器用や。でもな、不器用は一度ものにしたら絶対に忘れへん。そしてお前には覚えるまで練習できる体力があるんや」。厳しくも愛ある恩師の言葉は、竜の背番号55の活力になる。
中日スポーツ