【実録 竜戦士たちの10・8】(31)落合博満、移籍決定前のテレビで「オレが打たなきゃ長嶋さんのクビを切ることになる」突然の宣言
FA宣言に始まり、「話が来ているのは巨人とダイエー」の”ドッキリ発言”などテレビ出演のたびに話題を提供してきた落合博満が、三たび、お茶の間を騒がせたのは1993年12月20日朝のことだ。 この日は日本テレビ系の情報番組『ズームイン朝』。17日に落成記念パーティーを済ませたばかりの和歌山県太地町の「落合記念館」から信子夫人とともに夫婦そろって生出演。すると…。 「自分は田舎育ちなので、野球は巨人しかなかった。巨人イコール長嶋さんという環境。14、5年前に初めて会った時は緊張して口も聞けなかった」と突然、巨人と長嶋茂雄監督への熱い思いを語り始めたのだ。 「周囲が反対する中で、オレを取りたいと言ったのは長嶋さんだけ。オレが打たなきゃ、長嶋さんのクビを切ることになる。それだけはしたくない。来年も三冠王を狙うよ」 どこをどうとっても巨人入団を決めた落合の所信表明としか聞こえない。ところが、テレビ出演が終わると、途端に落合のスイッチもOFFに。発言の真意を聞こうとする記者たちには「テレビ? 朝早かったから、何を言ったか忘れちゃったよ」とオトボケを決め込んだ。 だが、この日の夕方になって事態は大きく進展する。この日の契約更改終了後、巨人が「明日(21日)午後5時から東京都内のホテルで落合選手の入団発表を行います」と発表したのだ。 10月末のペナントレース終了から続いた長い長い落合の”FA騒動”は、ついに決着の日を迎えることになった。 晴れて「巨人・落合」が誕生した12月21日の朝。落合がひょっこり姿を見せたのは名古屋市中区の中日球団事務所だった。球団社長の中山了に「お世話になりました」とあいさつするため、立ち寄ったものだった。 86年オフにロッテからトレードで移籍し、7年。在籍年数ではロッテの8年に1年及ばないが、出場863試合はロッテ時代の849試合を上回る。長男・福嗣を授かったのも中日移籍1年目の87年のことだった。 連日、多くの報道陣に追いかけられたこの騒動の期間中、「自分にとっては(中日に)残った方がいいんだが…」と漏らしたことがあったが、どこかに後ろ髪を引かれる思いが中日球団、そして名古屋にはあったのかもしれない。 =敬称略
中日スポーツ