女優・とよた真帆 歌に呼び込まれて 亡き夫・青山真治さんに褒められ…〝シンガー〟の夢を実現「楽しい企画にラフな気持ちで」
【ぴいぷる】 亡夫に歌を褒められ ふと、歌に呼び込まれた。何気なく口ずさんだフレーズがきっかけとなり、数年後に新たな〝表現〟が生まれることなど思いもしなかった。 【写真10枚】アルバムのライナーノーツには青山真治監督ととよた真帆夫妻のツーショットも(2枚目) 夫は映画監督で、惜しくも2022年3月21日に亡くなった青山真治さん。 「結婚して10年くらいのころ、テレビの歌番組で流れていた曲に合わせて歌っていたら、青山が『歌えるの?』って。私の歌声を聴かせたのはそのときが初めてだったんです。そうしたら浅川マキさんのアルバムを持ってきて、『歌ってみて』と言われたのが『セント・ジェームス病院』。私も浅川さんが好きだったからすぐに歌えたんですが、『歌える女優を探していたんだけど、家のなかにいたのか!』って」 それが歌と関わる第一歩。芸能生活40周年にして初のアルバム、今年の夏にリリースした『WILD FLOWER』の原点だ。 「『歌をやったほうがいい』と青山に褒められてその気になって、時間があればカラオケに行って、ちあきなおみさんとかいろいろ歌いました。音楽業界の知人からボイストレーナーを紹介してもらい、1年間みっちり教わって。カラオケ仲間ができて、スナックにも通いました。地方ロケに行けばまずカラオケ店探し。メーカーによって入っている歌が違うからメーカーまで確かめるんです」 子供のころから、こうと決めたら突き進むタイプ。学習院の女子高等科に通っていたが、自分が〝やりたいこと〟を優先して文化学院の美術科に編入した。 「幼いころから絵が好きだったのと、モデルもやり始めていたので文化学院に転校しました。中学生のときは演劇に興味があったんですが、背が高くなりすぎてしまってモデルに。お芝居のほうから声がかかったのはあとのことですね」 好きだからやってみたい―の気持ちは、高校生のころと同じ。そしてシンガーとしての夢を実現させてくれたのは夫と、ギタリストの山田勳生。 「歌の練習を始めたあと、青山演出の舞台『私のなかの悪魔』(2013年)のなかでも歌い、その控え室で、音楽を担当していた山田さんと3人で〝アルバムを作ろう〟と盛り上がったことがあったんです。でも具体的な目標とはならず、ふわーっとしていて。それが、青山が亡くなったときにお線香をあげに来てくれた山田さんが、『3人で言っていたアルバムを作りましょう』と言ってくださって。前に進めました」 アルバムができれば40周年のメモリアルにもなる。山田のパソコンに入っていた青山の歌声にも心を突き動かされた。