【ラグビー】二つの約束。小鍜治悠太[東芝ブレイブルーパス東京/PR]
「キムラ、ハラダ、コッカージ!」 関西大学リーグではお馴染みの音頭が、国立競技場にも響く。 声援を受けてスクラムを押したのは、東芝ブレイブルーパス東京だった。 5月26日のリーグワン決勝。ブレイブルーパスは前半8分頃のファーストスクラムで、いきなり埼玉ワイルドナイツのパックを後退させた。 16分には相手のペナルティを引き出す。22分には敵陣ゴール前での味方の落球を、再び反則を奪って帳消しにし、逆転のトライ&ゴールに繋げた。 対するワイルドナイツが後半開始と同時に1列を全員入れ替え、クレイグ・ミラー、堀江翔太、ヴァルアサエリ愛といった日本代表メンバーを投入しても、ブレイブルーパスの優勢は変わらなかった。 右プロップで先発した小鍜治悠太は目を細める。3年前に天理大で経験した日本一に続き、国立では負けなしだ。 「チームで準備したことができました。プレッシャーはすごかったけど、勝ててよかったです。リーチさんはじめベテランの方々を優勝させたかったし、自分らも優勝したいと思っていました。そういう気持ちの面で(ワイルドナイツを)上回れたと思います」 後半11分までピッチに立った。 「スクラムは最初から感触は結構良かったです。でも、闇雲に押したら一気にいかれる(返される)。8人で組むことは、練習の時からずっと言い合っていました」 課題を修正して、このファイナルに臨めた。 「前3人は揃って前に出ることが大事で。練習では僕がLOよりも先にヒットしてしまって、メンバー外に押されることもありました。そうならないように気をつけました」 強さの所以を問えば、「伝統」と答える。 「(HO原田)衛、(左PR木村)星南、みんなスクラムが好きです。好きな人が集まってお互いに言い合いっているのも一つあると思います。でも東芝のスクラムはこれまでも強かった。バズさん(浅原拓真)も、三上(正貴)さんも、ユハさんも、東芝の1列は全員ジャパンです。いろんな人たちが積み上げてきた伝統だと思います」 天理大の学生だった頃から、強さの一端に触れていた。9月29日に亡くなる直前まで、湯原祐希FWコーチからアドバイスをもらっていたのだ。小鍜治が4年生の時だった。 「引き出しがめちゃくちゃ多くて、こんなんあんねやと。東芝すごいなと思っていました。ユハさんは悩んだことがあったらいつでも言ってと、言ってくれた。関西リーグ開幕の数週間前に上手くいかないことがあり、そこでもいろいろ教えてもらいました」 急逝した知らせを受ければ、葬儀に参列するため、小松節夫監督に無理を言って奈良から車を飛ばした。 「東芝の優勝と代表入りはユハさんと約束していました。まだまだこれからですが、そのひとつが果たせたのはよかったです」 もう一つの「約束」である代表入りは、まだ叶えられていない。 5月30日に発表された日本代表メンバーのリストに名前はなかった。 「一貫性がなかった。(選外には)納得しています」 シーズン序盤は不振に喘いでいた。第4節までメンバー外だった。 1月14日の第5節・三重ホンダヒート戦には先発で起用されたが、明確にレギュラーに返り咲けたのはクロスボーダーを挟んだ1か月後の第7節・横浜キヤノンイーグルス戦(2月24日)だった。 「体が思うように動かなかった」という不調の原因は「よく分からない」中、解決方法はシンプルだった。 「ひたすら体を当てまくりました。星南、藤野(佑磨)さん、葛西(拓斗)とかと自主練で、1v1でバチバチに。時々アサエリ(ラウシー)にもお願いしてボコボコにしてもらって(笑)。でも、自分はそれをやらなあかんなと。自分は追い込まないといけない選手だと改めて気づけました」 代表入りこそ逃したが、バックアップメンバーには名を連ねている。 エディー・ジョーンズHCは同メンバーに、「いつでも合流できる準備をしてほしい」とメッセージを送る。 来る日に向け小鍜治はいまも、自らを追い込んでいることだろう。 (文:明石尚之)