【伝説の8番】曙、ライバル貴花田を破って初Vと大関昇進のダブルの夢膨らむ「前に出ることしか考えていなかった」…92年夏場所
92年夏場所8日目に、1敗で単独トップに立った関脇・曙。初優勝とともに、大関昇進というダブルの期待が高まってきた。9日目は西前頭筆頭・巴富士戦も圧倒的なパワーを見せつけた。もろ手突きで3発。巴富士はたまらず土俵から転げ落ちた。勝ち越し一番乗り。「落ち着いているよ。負けてもいいから思い切り取れる」。負けても優勝争いから脱落するわけではないということで、リラックスして土俵に上がっていた。 10日目は東前頭6枚目・旭道山をあっという間に押し出し、1敗を守ると、2敗で追っていた西前頭7枚目・若花田が大関・小錦に敗れ、2番手グループとの差が「2」に広がった。「足が前に出たからね。勝てば何でもいいよ」と曙はサラリ。11日目は88年春場所初土俵以来の宿命のライバル、西前頭2枚目・貴花田との対戦を迎えることになった。「何も考えず、自分の相撲を取るだけ」。幕内では6勝3敗。直近は4連勝していた。 気合十分だった。強烈なのど輪に、貴花田はのけぞった。右四つ。左上手をひきつけて、休まず攻める。前へ、前へと出た。最後は自らの巨体を預けて、寄り倒した。「前に出ることしか考えていなかった。きょうが一番落ち着いて相撲が取れた」と振り返った。「あの2人だけには負けたくない」と、若貴兄弟には並々ならぬ闘争心を燃やすだけに、大きな1勝となった。 だが、12日目に落とし穴が待っていた。安芸ノ島に思わぬ不覚だ。もろ手突きで出ていったが、左に変わられ、正面土俵に引き落とされた。「相撲に勝って、勝負に負けたね」と苦笑い。「緊張はしてないんだけど。これで(優勝争いは)面白くなったでしょう。頑張りましょう」と敗戦にも明るく振る舞った。それでも、ただ一人3敗を守った若花田は1差と接近。直接対決を残しているだけに、がぜん、盛り上がってきた。(久浦 真一)=つづく= ◇曙 太郎(あけぼの・たろう)本名・曙太郎。1969年5月8日、米ハワイ州オアフ島出身。88年3月場所、初土俵。90年9月場所、新入幕。93年1月場所後、横綱に昇進。優勝11回。得意は突き、押し。01年1月場所で引退。通算成績は654勝232敗181休。03年に格闘家に転向。24年4月、死去(享年54)。現役時代は204センチ、233キロ。
報知新聞社