先発ローテ剥奪危機からMVPの有力候補…「巨人を救った右腕」は
モデルチェンジが成功
野球評論家の伊原春樹氏は、「加齢とともに力で押しまくる投球だけでは抑え切れなくなる。21年は6勝、22年は10勝を挙げたが防御率は3点台。そして昨年の不振と限界説もささやかれるようになった。しかし、それを吹き飛ばす活躍。スライダーを内外角へうまく投げ分けるようになり、フォークも人さし指だけ縫い目にかける握りに変え、マイナーチェンジを遂げた。変化球主体の軟投派へモデルチェンジしたことが復活の大きな要因だろう」と週刊ベースボールのコラムで分析している。 投球スタイルを変えることに成功できれば、選手寿命が延びる。伊原氏は近鉄のエースとして活躍した名投手の名前を挙げ、こう振り返っている。 「投球スタイル変更が功を奏した投手と言えば私にとって印象深いのが鈴木啓示さんだ。近鉄で歴代4位の通算317勝を挙げた左腕。鈴木さんも若手時代は直球を力任せに投げ込むスタイルだった。変化球はカーブだけ。それでも高卒2年目の1967年から5年連続20勝を挙げた。しかし、それだけでは勝てない時期がやってくる。73、74年は11勝13敗、12勝15敗と2年連続の負け越し。そのとき鈴木さんの意識を変える存在が現れた。阪急で黄金時代を築いた西本幸雄監督が74年、近鉄監督に就任。西本監督は『20勝するのは結構だが、負けをひとケタにしてくれ』と鈴木さんに求めたという」 「鈴木さんは反発を覚えたと言うが、何度も何度も同じことを諭し続ける西本監督に根負け。負け数を減らすために真っ向勝負ではなく、コントロール重視のスタイルに変更。スライダーやフォークもマスターし、投球の幅を広げた。スライダーは右打者の外角ボールゾーンからストライクゾーンに制球。フォークもスクリュー気味に右打者の外に曲げ低めに集めた。長池徳二さん(阪急)、大杉勝男さん(東映)、野村克也さん(南海)といった右の強打者をこの“技”で抑え込んだ。投球が進化した鈴木さんは77年には20勝、78年には25勝で最多勝を獲得している」 シーズンは残り13試合。モデルチェンジが大成功した菅野は、最後まで輝き続けられるか。 写真=BBM
週刊ベースボール