島谷ひとみ「自分を閉ざした時期も」年下を指導する難しさを実感「40代になって傷の治りも遅くなり」20代でヒット連発したその後
『亜麻色の髪の乙女』のヒットから20年経った島谷ひとみさん。年齢を重ねるにつれて新たな人間関係を構築する難しさに直面することがあったそうです(全4回中の4回)。 【画像】料理に野球にDIYに…歌手の島谷ひとみさんとはちょっと印象が違う一面を写真で紹介「ますますファンになりますね」(全17枚)
■30代でプレッシャーに直面 ── 21歳でデビューして20年以上活動が続く中で、どんなことを思いますか? 島谷さん:デビュー当時からまわりのスタッフや大人たちがとても丁寧に接してくれました。『亜麻色の髪の乙女』がヒットしましたが、私の経験が浅かったこともあり、技術的なことよりもまずは歌に込める自分の気持ちを大切にしなさいと。事務所の方から「ピュアな気持ちで、自由に歌を歌ってくれたらいいから」と言葉をかけてもらったこともあります。
── これまでの長年芸能活動の中で、印象に残っている出来事はどんなことですか? 島谷さん:ある方からかけられた言葉がずっと心に残っています。私がまだ20代前半の頃、『第1回ザ・ジャパン・オーディション』歌手部門賞(事務所ご確認)をいただきました。その時、レコード会社の重要な方から「君はこの先どんなに売れたとしても、変わったらいけないよ。自分らしくいてね」と言われ、その言葉がすごく心に残りました。
── 20代と比べて30代はいかがでしたか? 島谷さん:さまざまなプレッシャーや変化に直面しました。たとえば、楽曲を選ぶ際に、これまでだったら事務所の方に決めていただいたものを歌えばよかったのですが、30代では「今、あなたはどうしたいの?」と意見を求められたり、選択権を与えてもらえるようになりました。反面、自分がどうしたいのかわからず、急に突き放されたような気持ちになってしまったんです。 また、年下で自分より経験が浅いスタッフが増えたこともあり、私自身が指導する機会も出てきました。そんなとき普段の自分とは違い口調が厳しくなることがあり、気づくと、まわりの人が私に遠慮していると感じることも。改めて指導の難しさを感じることがありました。自分さえわかっていればいい、我慢すればいいといった考え方で、自分を閉ざしていた時期もありました。