大谷翔平すらできなかった「偉業」を成し遂げるか…45本塁打、最速153キロ高校生が「12球団入り」を拒否した理由
■大谷翔平もメジャー挑戦を表明していたが… ただ、日米20球団と面談した後、熟考を重ねた結果、憧れだったメジャーへの挑戦を一時封印。会見では「日本一の投手になってから挑戦したい」と大粒の涙を流した。周囲の重圧や一部の批判とともに、前年に設けられた「田澤ルール」も、挑戦の足枷になった。 ドラフトでは6球団競合の末、西武に入団。2017年に16勝で最多勝、2018年も14勝でチームの10年ぶりリーグ優勝を置き土産に、2019年、マリナーズへと入団した。涙の決断から10年。日本一の投手になるという約束を果たし、その後、ブルージェイズから今季途中にアストロズへと移籍。チームの地区優勝に大きく貢献した。 菊池騒動から3年後の2012年。同じ花巻東に大谷翔平という怪物が現れた。投げては160キロ、打っては高校通算56本塁打の二刀流は、ドラフト会議の4日前にメジャー挑戦を表明。多くのNPB球団が指名を回避する中、日本ハムがドラフト1位で指名を強行した。 大谷は驚きながらも、「アメリカでやりたいという気持ちは変わらない」と、入団拒否の姿勢を崩さなかったが、栗山英樹監督(当時)が「大谷翔平君 夢への道しるべ」と題した全27ページの資料を持参。1時間半にも及ぶプレゼンテーションに心を動かされ、メジャー挑戦を翻意し、日本ハムへと入団することになる。 ■大谷すらできなかった偉業を成し遂げるか? ルーキーイヤーから投打二刀流で活躍。2016年には日本一を経験し、2018年にメジャー挑戦の夢を叶えた。昨年はエンゼルス、そして今年はドジャースで2年連続本塁打王に輝き、ワールドシリーズ制覇に大きく貢献。名実ともに世界一の選手となった。右肘手術からの復帰が見込まれる来季、再び二刀流で活躍する姿をファンも待ち望んでいる。 森井も大谷に憧れ、二刀流を志した一人だ。菊池も大谷も、高卒でメジャー挑戦を熱望しながらも、日本のプロ野球で技術を磨き、海を渡った。もし2人が18歳から米国へ行っていれば、どのような成長曲線を描いていたのか。今となっては知る由もない。 大谷の活躍もあり、若いうちからメジャーを志す選手も今後は増えるだろう。ただ、高校卒業後に即米球界へ挑戦し、メジャー昇格を勝ち取った日本人選手はこれまでいない。森井の挑戦は、後に続く選手たちの道標となる。 ---------- 内田 勝治(うちだ・かつはる) スポーツライター 1979年9月10日、福岡県生まれ。東筑高校で96年夏の甲子園出場。立教大学では00年秋の東京六大学野球リーグ打撃ランク3位。スポーツニッポン新聞社ではプロ野球担当記者(横浜、西武など)や整理記者を務めたのち独立。株式会社ウィンヒットを設立し、執筆業やスポーツビジネス全般を行う。 ----------
スポーツライター 内田 勝治