孤独死は「かわいそう」ではない!自らの足で生き続けた証というケースも、私たちは最期の一人旅をどう過ごすか
野生動物の孤独死
登山や野外活動をする人々にとってはよく知られているが、山を歩いていて、動物の死骸を目にすることはめったにない。シカやタヌキ、サルといった動物が不意に藪の中から出てきて驚くこともあるし、遠方に黒い大型の動物の姿を見て、腰を抜かすこともあるだろう。しかし、これらの動物が死んで横たわっているのを見たことのある人は、ほとんどいない。 野生動物の多くは、目立たない場所で、ひっそりと命を閉じる。それは、「孤独死」という語が不適切なほどに、まったくもって自然なことである。 動物の場合、捕食者に食べられて死ぬ場合もあれば、飢えや寒さや病気で死ぬ場合もある。後者の場合、けもの道の中央で行き倒れるように死ぬことはない。 動物は、病んだり、飢えたり、凍えたりすれば、結果として体力を消耗し、動作も鈍くなり、捕食されるリスクが高まる。それをさけるために、岩陰や木の穴など、捕食者に気づかれにくい場所に身を隠す。そして、そこでじっと体力の回復を待っているうちに、命が尽きてしまうのである。 動物たちは、死に至る病でなくても、病気やけがをすれば、安全な場所を見つけて、そこに横たわる。この行為は、彼らが本能的に捕食者から身を守ろうとする結果でもあり、自然の中ではごく普通の現象である。 ここで、動物たちが行動を控えるのは、必ずしも死を前にしたときだけではなく、むしろ、病気になったときの一般的な行動パターン(「シックネス・ビヘイビア」と呼ばれる)にすぎない。余計な活動を控えることで代謝資源を節約し、代謝にともなって発生するフリーラジカル(不対電子をもつ原子・分子。細胞を傷つけてしまう)の産生を最小限にとどめることができる。 老いた動物が森の片隅の目につきにくいところに身を横たえるとき、彼らに「死の予感」があるわけでは、おそらくないのであろう。むしろ、強い倦怠感を自覚して、安全なところに身を隠しているだけであろう。そして、そこで休んでいるうちに病気・ケガが回復して、また、元気をとりもどすかもしれないが、そうならないでそのまま息を引き取ることもある。 動物たちの孤独死は、野生の生涯の最期を締めくくるものである。悲劇的なものではなく、むしろ自然の摂理がもたらす壮大なドラマの一部に過ぎない。彼らは他のいかなる存在にも頼ることなく、自らの本能に従って隠れる場所を探し、そこに身を横たえて、静かにその生涯を終える。そして、その場所で母なる大地に帰るのである。