「日本の和歌」のスゴい力をご存知ですか…? 土地に記憶を封じ込める「驚きの技術」
「和歌」と聞くと、どことなく自分と縁遠い存在だと感じてしまう人もいるかもしれません。 【漫画】床上手な江戸・吉原の遊女たち…精力増強のために食べていた「意外なモノ」 しかし、和歌はミュージカルにおける歌のような存在。何度か読み、うたってみて、和歌を「体に染み込ませ」ていくと、それまで無味乾燥だと感じていた古典文学が、彩り豊かなキラキラとした世界に変わりうる……能楽師の安田登氏はそんなふうに言います。 安田氏の新著『「うた」で読む日本のすごい古典』から、そんな「和歌のマジック」についてご紹介していきます(第13回)。 この記事は、『日本の「土地」には「神や霊や念」がやどっている…「日本の古典」を読むと、強くそう思える理由』から続きます。 前の記事では、能には、登場人物(ワキ)が各地を漂泊する「道行」という表現が出てくること、そして、そうした表現からは、日本文化においては「土地」に神や霊などがやどると考えられてきたふしがうかがえることを紹介しました。 「道行」に歌われる土地の一部が「歌枕」と呼ばれることもありますが、どうやらそのことが、日本の「土地の記憶」をより彩り豊かなものにしているようで……。
歌は土地に記録される
文字に書かれたものだけではありません。日本の地名はとても詩的で、そして物語を有するものが多い。その名を聞けば物語が脳裏に再生され、そしてその地に立てば眼前に神話が出現する、それが日本の土地なのです。 土地は物語を記憶します。 ただでさえ神話や物語、また心情をも記憶する土地なのに、歌枕はそこに歌の記憶が重なるので、さらに重層的になります。 『袋草紙(藤原清輔)』には、竹田大夫国行という者が白河の関を通過する日には特別の装束を着て、髪を整えた。わけを問うと「いかで《けなり(褻なり:普段着)》にては過ぎん」と言ったといいます。そこまでしなくとも心ある歌人は歌枕をスルーすることはできません。そして歌を詠みます。 すると、歌枕として認定されたときの元の歌に、旅人の詠んだ歌が重なる。さらに次の歌人が詠えば、また重なる。さらに次の歌人、次の歌人と無限に積み重ねられた歌は圧縮されて土地に記憶されます。 そのアイコンが歌枕です。歌を詠むということは、そのアイコンをクリックするようなものです。歌人の詠歌によって、圧縮された歌の記憶は解凍され、それが一挙に押し寄せてきます。山本健吉は「白河の関は、言わば古歌の洪水である」と言いましたが、その波に吞まれる人もいるでしょう。そんな楽しみを味わえるのも歌を詠む人だからこそです。 今回、歌枕と道行のことを書いたのは、本書ではときどき歌枕探訪をしようと思っているからです。私は歌を詠むことはできません。その代わり、ワキとして歌枕探訪や道行をしようと思っています。