特集「キャッチ」学徒出陣 101歳の元 学徒兵から若者たちへ あのころ言えなかったメッセージ 福岡
当時は、大学への進学率がわずか3パーセントと言われた時代です。 ■九州大学・藤岡健太郎教授 「自己の世界を開拓するというのは、自分のためであるという意味合いでもあるので、生きて帰ってそこで苦難の成果を示せというような意味合いもとれる。」 帝国大学や高等専門学校から学問の道半ばで出征した学生は、全国でおよそ10万人にのぼると言われています。
当時の大学生たちは、生きていてもすでに100歳前後です。私たちは証言を求めて宮崎県へ向かいました。98歳の竹内敬郎(よしお)さんは、「生き証人」の中では最も“若い”世代です。 ■元 学徒兵・竹内敬郎さん(98) 「私なんか、こんなん言ったらいかんけど、お国のためと思って行ったわけじゃないです。戦争中だから、これに負けたら親父が殺されるぞ、おふくろが殺されるぞ、そんなら向こうのおふくろや親父を殺してやれとくらいにしか考えてなかったですから。」
1945年4月、京城帝国大学法学部に入学した竹内さん。徴兵の年齢は19歳に引き下げられていて、入学のわずか1か月後、神奈川県にあった海軍の学校に入りました。 ■竹内さん 「米軍が上陸する情報が入っていたから、特殊潜航艇に乗って訓練を受けていた。」 竹内さんを待ち受けていたのは、命をかけて出撃する特殊潜航艇の乗組員になるための訓練でした。 ■竹内さん 「海軍で言われていたのは、とにかくやっつければいいんだって。魚雷2本、2本当てりゃそれでいいと。」 その時が来れば死んでも仕方がないと、半ば諦めながら訓練を続けましたが、出撃することなく終戦を迎えました。
■竹内さん 「あのころは戦争反対と誰も言うこともできなかった。やっぱり話とかんといかんなと思ってですね。戦争なんてするもんじゃないですよ。」 終戦後、京都帝国大学に編入し、卒業後は本籍地の宮崎県で県職員として地元のために働きました。戦争体験を語るようになったのは、ロシアによるウクライナ侵攻が始まってからでした。 声に出して戦争に反対しなければ、悲惨な歴史は繰り返されてしまう。そんな思いに駆られています。
九州帝国大学から出征した101歳の堤さんに、今の若者たちに伝えたいことを尋ねました。 ■堤さん(101) 「知ってほしいこと?戦争ほどバカなものはない。」 突如、学問の道を閉ざされ、死と隣り合わせの極限を生き抜いた「学生たちの戦争」。 ■九州大学の新入生 Q戦争に行くとなったら? 「行くとなったら、たぶん戦えないですね。」 もしあなたや、あなたの大切な人が戦場に行くことになったらどう思いますか。
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