特集「キャッチ」学徒出陣 101歳の元 学徒兵から若者たちへ あのころ言えなかったメッセージ 福岡
FBS福岡放送
特集・キャッチです。太平洋戦争中、日本は戦況が悪化するにつれ、高等教育を受ける大学生たちも戦場に送り込みました。「学徒出陣」です。「戦争ほどバカなものはない」と、あの頃は言えずにいた生き証人のメッセージをお届けします。 【画像】学徒出陣 101歳の元 学徒兵から若者たちへ あのころ言えなかったメッセージ 福岡
福岡市西区の九州大学では新入生が入学の日を迎えていました。 ■新入生 「将来の夢は税理士になることです。毎日、友達と遊んだり勉強したりしたい。」 「いろんな周りの人との関わりを学びながら、これからの生き方を自分で決めていけたら。」 しかし、今から81年前。当時の九州帝国大学の学生たちは自分で決めることなく、突如、戦場へと駆り出されました。 太平洋戦争中、戦況が悪化し兵力不足に陥った旧日本軍。20歳以上でも徴兵を猶予されていた大学生たちに白羽の矢が立てられたのは、1943年秋のことでした。「学徒出陣」です。
福岡市東区の特別養護老人ホームで暮らす101歳の堤康弘さんは1942年、九州帝国大学法学部に入学しました。「学徒出陣」の経験者です。 ■元 学徒兵・堤 康弘さん(101) 「兵隊に呼ばれた時は…ちょっと待てよ。」 陸軍に入隊し、現在の北九州市若松区にあった高射砲の部隊で終戦を迎えました。終戦の3か月後に復学し、卒業後は記者などを経て平和運動に携わりました。その原点は、多くの犠牲者を生み出しながら無謀な戦争を続けた旧日本軍への怒りでした。
■堤さん 「兵隊に行くことになるから覚悟しろと。“バカにすんな”という感じやったな。」 九州帝国大学からは、終戦までに堤さんを含む文系学部の学生など1346人が出征しました。そのうち少なくとも79人が戦死したことが分かっています。
当時の大学新聞です。出征する学生たちへ、教授たちからの“激励の言葉”が掲載されています。 「諸君は砲煙弾雨のもとにあっても、知識人の誇りを捨てることなく、与えられたる使命のうちに自己の世界を開拓せよ」 “激励の言葉”には、国の未来を担うはずの教え子たちを戦場に送り出さざるを得ない悔しさと、無事を祈る思いが込められているのではないかと、九州大学の歴史を研究する藤岡健太郎教授は指摘します。
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