「TRUE LOVE」のイントロは藤井フミヤの弾き間違いだった…ミュージシャン・佐橋佳幸が明かす“ミリオンヒットが生まれる現場”
妻、松たか子とも音楽を通じ出会う
坂本龍一、矢野顕子、山下達郎など、あらゆるアーティストとサポートバンドなどを通じて親交を深めた佐橋は2000年代に入って、ある歌手のサポートをすることになる。それが後に妻となる松たか子だった。 きっかけは松の次期シングル曲のアレンジを求められたことと、ほぼ同時期に「松のライブコンサートツアーをやりたい」と仕切りを頼まれたことだった。 アレンジを頼まれたシングル曲は「花のように」。終えると、そのままツアーの仕切りに入った。このツアーが大成功に終わったことから、佐橋がそのまま、松の音楽に関する一切を手がけることにつながった。 松は、「山弦の人だったら」と佐橋が自身の音楽に携わってくれることを、もろ手を挙げて歓迎したという。こうしたつながりが2人の結婚にまで結びついたことは想像に難くない。 「山弦」は、桑田佳祐らのレコーディングの休憩中にギターを弾き合っていた佐橋と小倉が意気投合し、1990年代から活動を始めたデュオである。よほどフィーリングが合い、バランスも良かったのだろう。断続的に活動を続けており、新型コロナウイルス禍の頃は、リモートで作品を実験的に作り、2人の間で数度の“音のキャッチボール“を繰り返した。その結果を17年ぶりとなるアルバム「TOKYO MUNCH」として出すなど、今もなお音楽に貪欲で精力的だ。
「自分のしたいことを後悔なくやりたい」
佐橋は1994年から携わってきた山下達郎のツアーを昨年2月いっぱいで卒業した。実はコロナ禍の前年に、還暦を迎えることを意識して「自分にはあと20年ぐらいしかない。したいことを後悔のないようにやりたい」という思いから、卒業を申し出ていたという。 コロナ禍もあって、実際の卒業は還暦を迎えた後にずれ込んだが、気持ちに変化はない。「音楽を始めたときと変わらず、ずっと同じ線上を走ってきた」が、先人のアーティストたちがまだまだ頑張っている現状を見ると、自身のゴールがまだまだ見えてこないうちは走り続けるしかない。 そうした中で気に掛けているのが、アーティストのSETAの存在だ。歌だけでなくイラストなども手掛け、展覧会でアジアツアーも行うほどの多才ぶりを発揮しており、「音楽でもブレイクさせたい」と佐橋は腕を撫す。 そして自身のバンド「UGUISS」の復活だ。40年前に発売されなかったセカンドアルバムを、今年4月にファーストアルバムとの2枚組アナログLPとして発売した。すでにボーカルだった山根は鬼籍に入り、キーボードの伊東暁は引退したが、佐橋、柴田、松本と現役メンバーが残っている。