多彩なサービスと切れ味鋭いバックハンドを持つ「攻撃的カットマン」 独自スタイルを築いた青学大・小林りんごの〝分岐点〟
各競技で伝統的に実績を残し、名選手を輩出してきた青山学院大学。箱根駅伝で7度の優勝を誇る陸上競技部(長距離ブロック)や、東都大学野球1部で3季連続優勝を飾った硬式野球部。比江島慎をはじめとしたBリーガーを生んだバスケットボール部などが、大学スポーツ界においては名を刻んできた。 【写真】木田とのダブルスで得点を挙げ、拳を握って喜ぶ小林 そんな中、2023年に青山学院大に入学し、女子卓球部で活躍しているのが小林りんご(2年、桜丘)だ。岩手県出身で、早くもチームの主力を担う。今回は小林の卓球人生に迫り、青山学院大での日々とこれからについて聞いた。
3歳のころ、地元の岩手でラケットを握る
卓球を始めたのは3歳のころ。両親と祖母が卓球競技者という家庭で生まれ育ち、家族が運営する地元・岩手県の「宮古Jr.」で本格的にラケットを握った。 「地元にいた時は練習相手が十分にいなかった」と語るように、恵まれた環境ではなかった。幼少期は「一つのコースで技術を高める練習や、フリーで自分がやりたいようにやっていた」と、限られた状況でスキルアップに取り組んだ。 小林のプレースタイルはカットマン。小学校の低学年までは「身長が台から見えるか、見えないかくらいだった」という。この戦型で実績を残していた母親から「勝てるよ!」と助言をもらい、通常の戦型からカットマンに変更した。 カットマンは卓球界では守備的な戦型と位置付けられる。だが、小林はカットマンの中でも異色の攻撃的なスタイルを持つ。「もともと攻撃をするのが好きだった。攻撃で楽に点数を取れるなら、守備をする必要がない」と理由を語った。多彩なサービスや切れ味鋭いバックハンドなど、そのスタイルを生かすための技術も備える。
愛知の名門校で全国区の選手へ成長
競技人生の「ターニングポイントだった」と語るのが高校時代だ。日本初のプロ卓球選手である松下浩二さんや、2004年のアテネ・オリンピックに出場した新井周さんを輩出した愛知の名門・桜丘高校の目に留まり、練習参加を経て入学することになった。「強いのに自由な雰囲気もあって、自分に合ってるのではないか」と当時の考えを明かした。 桜丘での練習は「1日の練習量が長いし濃かった。質が高いので、1日の疲れる量が全然違いました」と、それまでとの違いを感じた小林。それでも、「最初はそれが嫌だったんですが、だんだん体が慣れていき、充実していきました」と次第に適応していった。 桜丘では1年時に全国高校選抜に出場し、団体戦準優勝に貢献。その後も実績を重ね、3年時に出場した全国高校総体(インターハイ)では野村光(現・デンソー)とのペアで準優勝を飾り、全国でその名を高めた。 高校での飛躍について、「レベルの高い練習を毎日やってきたおかげで、今まで出せなかった成績が当たり前に出せるようになった」と要因を語り、「練習の質と量が(岩手時代と)変わりましたし、1個1個の技術の精度が以前と比べて上がった」と分析。もともとのポテンシャルが環境によってさらに磨かれ、全国区の選手として進化を遂げた。コロナ禍で難しい日々も経験したが、「団結力が出て楽しかったです」と充実の時を過ごした。