新ブランド米「たかたのゆめ」収穫へ、復興への夢託す/陸前高田
復興ブランド米として期待がかかる岩手県陸前高田市の新種米「たかたのゆめ」が、初めて本格的な収穫を迎える。栽培農家は昨年1軒だったのが今年は12軒に増え、計50トンの収穫を見込む。津波で浸水被害を受けたコメ農家たちが、農業再生への夢を託し、一般販売を始める。 同市米崎町の金野千尋さん(62)は昨年5月、突然電話で「陸前高田のために米を作ってほしい」と言われた。打診したのはJTだった。静岡県の研究所で開発したコメを、復興支援で活用する計画だった。10年かけて02年に開発したが、アグリ事業撤退で使われず、倉庫にフィルムケース8本分の種もみが残された。
「ひとめぼれ」と混ざらないよう手間かける
打診を受けた農家は金野さん以外、販売実績もないため一度は断った。津波で4町のうち2町(約2ヘクタール)の田んぼを失った金野さんは、「復興のため」との考えはなかったが、軽い気持ちで承諾した。 新種米を植えるには手間がかかった。ひとめぼれなど他と混ざらないよう、機械を入念に掃除し、苗を作った。「隔離」された水田も必要だが、偶然使っていない15アールを活用した。昨年は金野さん1農家で始めたが、今年は12農家に広がった。夏の豪雨や台風に耐え、50トンの収穫を見込む。 陸前高田市は、被害を受けた岩手県内の農地の5割を占め、被害が大きい。第一次産業の再生は喫緊の課題だ。今年から作付けを始めた佐藤信一さん(64)は、新種米について「市にとって大きな話」と喜ぶ。 ただ、「農家の所得が上がるかは、わからない」と冷静だ。山がちの狭い水田が多く、米どころ仙台平野のような大量生産は望めない。そのため「他の農産物も相乗的に売れるなど、効果がつながれば」と期待を込める。金野さんも「作る以上に、いかに売るかが大事」と話す。
息子が継ぐのが夢
金野さんは現在、震災前の倍近い7ヘクタールを耕す。拡大に至るまでには、多大な苦労を重ねてきた。 約10年前、団体職員から専業農家になった。規模を広げたかったが、水田を借り受けることは難しかった。そのため誰もやりたがらない山あいの水田でも耕してきた。暑い夏場も作業を続け、農法にもこだわり、歯を食いしばった。 努力が周りに認められ、当初の2ヘクタールから4ヘクタールに増やせた。さらに震災後、多くの高齢農家が農業を続けられず、依頼が増えた。ただ、「将来性ある安定した仕事になるか」を気にかける。金野さんの息子2人は、農業に携わっていない。後継者不足は日本全国の悩みだ。 そんな状況の中、市の応援もあり「たかたのゆめ」への期待が高まってきた。金野さんは「農家の向上に結びつけば」と強く感じる。希望の芽が、自分の田んぼにある。「農家がもうかる仕組みができて、息子が継ぐようになれば最高だな。それが『たかたのゆめ』だ」。