「これまで生きてきたことが最大の準備やんか」緊急入院の体験で学んだ私が受けとった代役のバトン【坂口涼太郎エッセイ】
花火のように打ち上げます
今回、もともと「お嬢吉三」を務める予定だった方は体調不良によって降板されたらしい。 私も2年前に同じようなことがあった。 あの時は共演している俳優仲間たちが私の出番を補って、みんなで代わりを務めてくれた。 今度は私に誰かの代わりを務める番が巡ってきた。 この世界に同じ人間は一人としていないから、私はその方の代わりにはなれないし、その方の穴をまるっきり同じように埋めることはできないけれど、その方が務めるはずだった役職と職務の代わりは務めることができる。 だから、誰だってしんどかったら誰かにパスしていいんや、元気がある人に代わってもらっていいんや。その人にしかできないことがあるから、全く同じようにはならないし、できないけれど、この世界にはたくさんのすばらしい人たちがいて、その仕事や役職や立場や役割をその人の代わりに務めてくれる。 だから、堂々と助けを求めていい。休みたかったら我慢せずに休んでいい。それを私は2年前に痛感し、学び、反省した。 今の俳優界にはすばらしい仲間がたくさんいるから、私は安心して助けを求められる。 そして、いまの私はとっても元気だから、私に代わりを務めてほしいと思ってくれる方がいるのであれば、喜んで尽力したい。 みんなで補い合って、仲間たちと健やかに働いていきたい。バトンを繋いでいきたい。 夜空で燃えては消えていく一瞬の連続に照らされながら、今は待つことしかできないこの夜と、かつての経験を噛み締めながら、私はビールを2缶ぐびっと飲み切ったのであった。 その翌日。稽古初日前夜に正式に代役を務めることが決定し、次の日とりあえず体だけを稽古場へ運んで席に着くと、目の前には275ページある煉瓦のような5時間分の台本が置いてあり、一瞬血の気が引いたけど、俺はやるんや。元気やねんからやれるんや。代わりにこの役を務めるけど、務める人が違えば役の表現や意味や届き方、全てが違うから、私は私にしかできない、私であるから表出した、私バージョンの「お嬢吉三」を精一杯やらせていただくんや。 降板された方がお目当てでチケットを買ってくださった、きっと心配で残念に思っていらっしゃるであろうお客様にも、坂口涼太郎に代わったけど、この物語を観に劇場へ来てよかったと思っていただけるように、俺はやるんや。 「三人吉三廓初買」という160年前の江戸の物語を今生きている人に届けるために全力を尽くして自分の役目を務めるんや。 それから、割と血眼でその日の稽古で私がやるべきタスクをなんとかクリアしていくような、その日暮らし感満載の何日かを過ごし、歌舞伎俳優の方々の動きや台詞を完全コピーする稽古を含む約1ヵ月半の稽古を経て、このエッセイが配信される今日、初日の幕が開きます。 蓋を開けてみれば、もっと準備が必要だったかと問われたら、そんなこともなかった。「お嬢吉三」という役を務める上で必要な要素を私はすでに持っていて、昔のアルバムをよくよく見返してみれば「お嬢吉三」と同じように私も2歳から女装していたし、メイクも現在はまりにはまってごりごりにやっているし、これまでやってきた踊りや歌や全ての経験がもうすでに役を務める準備になっていて、というか何をやるときにだって、人生で経験してきたことが私の準備そのものであり、結局何をやるにしてもいつでも準備は万全に整っているやんか。これまで生きてきたことが最大の準備やんか、と安心でき、なおかつ、すばらしい共演者の皆様に支えに支えられ、今日を迎えることができました。 私はこれから、今日までちゃ舞台の上で過ごしてきた全ての準備を整えて、東京芸術劇場プレイハウスというすばらしい演劇の数々が上演されてきた舞台の上でおどります。 今までの準備を盛大に整えて、人と人がバトンをつないでいけば5時間だって何時間だって、160年前の江戸時代からだって、物語を受け継ぎ、語っていけるのだというものすごさを実感しながら、花火のように儚く力強い一瞬を連続させる演劇をしに行ってきます。 私にとっても、誰かにとっても、この経験が次の旅への大いなる準備になることを願って。 捧げた夏を打ち上げてきます。 文・スタイリング/坂口涼太郎 撮影/田上浩一 ヘア&メイク/齊藤琴絵 協力/ヒオカ 構成/坂口彩
坂口 涼太郎