戦艦武蔵は最強の艦だったのか?技師や乗組員らが語る実像(5)日本海軍伝説の造船技師が語る「武蔵」
超弩級戦艦「武蔵」。この船を建造した造船所がある長崎市の人にとってその名前には兵器であることを超越した特別な響きがあります。そして2024年は「武蔵」が沈没して80年の年でした。空前絶後の武装と防御を備え”不沈艦”と呼ばれた武蔵は何故、何の戦果も挙げることなくあえなく沈没してしまったのか?NBCでは1995年、元乗組員や日本海軍の幹部、そして造船部門のキーマンとされる人たちを取材して「武蔵」とは?そして、その意外な”弱点”を取材し放送していました。その後の取材結果も加えて沈没から80年の年、改めて戦艦「武蔵」に迫ります。 【写真を見る】戦艦武蔵は最強の艦だったのか?技師や乗組員らが語る実像(5)日本海軍伝説の造船技師が語る「武蔵」 ■「武蔵」の問題点を知る海軍技師 かつてNBCでは日本海軍の艦船建造の世界での伝説の人物だった人に取材を行っていた。牧野茂さん。牧野さんは「大和」建造当時、日本海軍の呉海軍工廠造船部の設計主任。「大和」「武蔵」の基本設計に1番近い人で「武蔵」設計上の問題点を1番よく知る人物だ。 その牧野さんは我々が「武蔵」に抱く不沈戦艦の幻想を完全に否定した。 ■一発当たればダメ 「もう一発当たったらもうダメだね」。 海戦で敵艦と撃ち合いになりお互いが一発ずつ命中弾を受けた「武蔵」と「敵艦」のそれぞれが同時にダメになるのかと問いただすと牧野さんはさらに意外なことを口にした。 「いやいや、こっち(武蔵)がだよ。かなり構造的に欠陥があった。やっぱり古いですよ。八八艦隊(大正時代の計画)からね、ちっとも進歩してないんですよ」。 ■大和型戦艦の欠点 牧野さんによると大和型戦艦は心臓部の防御に重量を使いすぎたため、前後の防水区画や内部構造の強度が不足していたのだと言う。基本設計が古く、エンジンにも弾薬庫の位置にも問題があったという。 それらの改良を済ませていれば沈没だけは避けられたかもしれない。牧野さんは、大和型戦艦の設計に関係した1人として、悔いを残していた。(NBC長崎放送 長征爾)
長崎放送