小森はるか監督が追う、ちょっと変わった被災地支援「ラジオ下神白―あのとき あのまちの音楽から いまここへ」
「息の跡」「二重のまち/交代地のうたを編む」の小森はるか監督が、福島県の復興公営住宅で行われている一風変わった被災地支援活動を追った「ラジオ下神白―あのとき あのまちの音楽から いまここへ」が、4月12日(金)よりフォーラム福島で先行上映、4月27日(土)よりポレポレ東中野ほかで全国順次公開。ポスタービジュアルと予告編が到着した。 「ラジオ下神白―あのとき あのまちの音楽から いまここへ」予告編 2011年の原発事故により浪江・双葉・大熊・富岡町から避難した人々が暮らす、いわき市の復興公営住宅・下神白(しもかじろ)団地。 そこで2016年より続くのが、住民たちのまちの思い出と馴染み深い曲をもとに、ラジオ番組風CDを制作して届けるプロジェクト〈ラジオ下神白〉だ。2019年にはそれらの曲を演奏する〈伴奏型支援バンド〉が結成され、生演奏での歌声喫茶やミュージックビデオの制作など、音楽を通じた被災地支援活動が行われてきた。 文化活動家のアサダワタルを中心とした活動に、2018年から小森監督が記録担当で加わることで本作は生まれた。歌う速度に合わせる伴奏型支援バンドの演奏は、支援・伴走(奏)とは何かを観る者に問いかける。《支援する/される》では割り切れない豊かな関係が、ここにある。
〈コメント〉
その人のペースに合わせて、隣を歩こうとするあたたかさ。 誰かに寄り添ってもらった経験は、これから進む道の先を、明るく照らしてくれる。 ──植本一子(写真家) あの震災を、こんなふうに描くことができるのか。そう驚かされた。かけがえのないふるさと、そして思い出。それをつなぐのが歌であった。 本作は、人と記憶、歌とふるさとをめぐる物語である。福島の物語であり、「わたし」の物語でもあった。 ──小松理虔(地域活動家) 人が話し、笑い、歌う姿は、それぞれこんなにも異なるのだ。そんな当たり前のことを、この映画を見て初めて知った。その事実がこれほど心を打つのだ、ということも。 映画に出てくる一人一人の名前をたとえ忘れてしまっても、こうやって話していた人、あんなふうに歌っていた人、あの歌を好きだと笑っていた人、という記憶だけはいつまでも残るだろう。 ──月永理絵(ライター/編集者) 映画は「二人の恋は 清かった 神様だけが ご存知よ*」という歌声ではじまる。この声は人の心を裏返したような声で頭から離れない。 ラジオを通して、電波に乗って明かされるもう一つの団地、もう一つの世界。想いの世界。 歌の記憶と声の記憶は、永遠に流されることはない。 *柳水巴『天国へ結ぶ恋』(1932年)より ──イリナ・グリゴレ(人類学者) ききながら、かつて歌った歌を思い出す人。歌いながら、歌うことを思い出す人。わたしたちは、ただ歌をきくのではなく、いま歌を思い出しつつある人の声をきく。歌が思い出される時間を生々しくとらえた、かつてない映画。 ──細馬宏通(行動学者)