福島の「風評問題」の真の責任はどこにあるのか…? 今さら国と東電に全責任を転嫁しようと試みても、もう遅い
---------- 前編記事『「風評加害」とは何か…? 既に敗れた中央言論の後追い、かつ年単位の周回遅れを自覚しない河北新報社説の問題点』では、「風評加害」という言葉の定義を歪め、当事者からの告発を妨害しようとする行為について、具体例を示しながらその問題点を指摘した。後編では引き続き、同じ東北に暮らす当事者の抵抗と告発を踏み躙る報道を繰り返す同社の姿勢に疑問を呈す。 ---------- 【写真】原発「処理水」を、なぜマスコミは「汚染水」と呼び続けたのか
河北新報はこれまで福島をどう報じてきたか
では、河北新報は福島をどう報じてきたか。 たとえば2022年7月には国連科学委員会(UNSCEAR)事務局長一行が日本を訪れ、日本政府や福島県の住民、科学者、学生等に対し、東京電力福島第一原子力発電事故による放射線レベル及び影響について福島の安全性を裏付ける報告書を説明した。 福島の地元新聞などがこれを報じる中、『このとき河北新報は国連科学委の報告書内容や記者会見を報じようとしなかった。その一方、これに異を唱える市民団体の会見を報じていた』との指摘が見られている。 これが事実なら、「両論併記」の体裁すらない偏向報道ではないのか。河北新報はなぜ国連科学委員会が来日している絶好のタイミングに、科学的に正確な情報を積極的に伝え周知しようとしなかったのか。誤解や偏見、風評が払拭されては不都合なのだろうか? さらに、下記は日中韓55紙の社説をほぼ毎日比較している「晴川雨読」というサイトが行った、東京電力福島第一原子力発電所から海洋放出されるALPS処理水(以下処理水)を2020年以降に「汚染水」と呼んだ新聞を調べた調査である。 同調査を見ると、河北新報は2020年時点で「汚染処理水」あるいは「処理汚染水」などと、処理水に対する誤解や風評、偏見を招きかねない表現をしていたことが判る。河北新報が言う『処理水を「汚染水」とあえて言い続けるなど、苦渋の想いで海洋放出を見詰める地元からすれば承服しがたい言動や行動』には、他ならぬ河北新報自身も加担してきたことが判る。 福島の地元にとっては、「風評と偏見差別」が長年の懸念であった。にもかかわらず、河北新報は有意な健康リスクをもたらさない処理水を「汚染」呼ばわりする言説に問題が無いと考えるのだろうか。