頂点が見えかけていた、車体製造も含めたフルワークス参戦【ホンダF1挑戦60年の軌跡⑥】
チーム再建途中で無念のF1撤退、みすみす栄光を失う
辛抱強く続けたエンジン改良、車体の共同開発、そして最新鋭風洞の建設に象徴される大規模な設備投資と、地道に打ってきた布石が実を結んだが、翌2007年にはスーパーアグリF1チームにもエンジンを供給したものの、再び深刻な不振に陥った。 そこでホンダはフェラーリ黄金時代の立役者ロス・ブラウンをチーム代表に起用。2008年からチームを率いたブラウンは「1年目は欠点を洗い出し、技術規約が大きく変更される2009年シーズンに勝負をかける」作戦で、シーズン中盤で早くも2008年マシンの改良を打ち切り、翌年に向けてのマシン開発に注力した。 しかしそんな中、2008年12月5日、福井威夫社長(当時)が緊急記者会見を開き、F1からの撤退を表明した。サブプライムローン問題に端を発した世界的な金融危機で、業績が悪化したため、経営資源の効率的な再配分が必要という説明だった。ブラウンがチーム代表に就任してからはチーム力は着実に上がっていた。 チームはブラウンに譲渡され、2009年に向けて開発を進めていたマシンも引き継ぎ、メルセデスエンジンを搭載したマシンBGP001で快進撃を見せてタイトルを独占した。さらに翌2010年には、ブラウンチームはメルセデスに売却され、現在に続くメルセデスF1チームへと続いて行く。
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