奥能登被災地の悲鳴、届いてますか 衆院選控え、現地の声は
40年間若手 ついに1人 輪島市柳蔵集落
「地方重視とはありがたい」。輪島市の沖合25キロに浮かぶ七ツ島を遠望できる山腹の田で12日、今年から柳蔵集落でたった1人の米農家になった椿原伸一さん(67)が言い、こう続けた。「だけど、地方の中にも格差があることを政治は分かってくれているのだろうか」 高校を卒業後、東京都にあった中央協同組合学園で学び、帰郷した。農協職員として働く傍ら、斜面に点在する先祖代々の計80アールを21歳で継いだ。だが「国の減反政策後の米価下落で、平野部と違って規模拡大が難しい中山間地の農家は経営難に陥った。この集落でも私の後に新規就農する若者は現れなかった」と語る。 40年前に20人いた集落の米農家は昨年、高齢化で5人になり、そこを地震が直撃した。 農機が壊れるなどした70代の4人は、国の補助があっても新たな借金は無理だと離農した。就農時、集落で一番若い農家だった椿原さんは、最後まで一番若いままだった。 今春は50アールで作付けした。亀裂が入った30アールは、緑肥となる麦を植えることで助成を受け、来年につないだ。快晴の12日、椿原さんが田に実った麦の穂を手にし、言った。「日本の米作りは行き着く所まで来てしまった。どうしたらいいんだ」 (栗田慎一)
日本農業新聞