「正直、少し迷いました。でも…」ドラフト指名123人“最後の指名選手”の胸の内…「野球は中学から」「投手歴2年」ソフトバンク育成13位が期す下剋上
17時前から始まったドラフト会議。最初は教室にいた3年生全員に、練習を終えた1、2年生も加わり野球部員全員で、その時を待ち続けた。「塩士暖」の名前が響き渡ったのは、辺りも真っ暗になった夜8時半を過ぎた頃だった。その瞬間、教室は歓声と拍手に包まれた。 【貴重写真】「腕、長っ!…ポテンシャルヤバい」ドラフト“123番目”ソフトバンク育成13位の塩士暖の「超ダイナミック」投球フォーム…実際の試合での投球風景&盛り上がった今年のドラフト会議の様子も見る 「全員で、たぶん3時間以上は待っていたと思います。正直、本当に指名されると思っていなかったんです。でも……チームメイトみんなが一緒に待ってくれている中で、名前が呼ばれなかったら申し訳ないなと。ただただ願うだけでした。呼ばれた瞬間は言葉が出なくて、喜びよりも驚きの方が大きかったです。自分よりも喜んでくれた人もいたので嬉しかったです」
ドラフト指名123選手中「最後の指名」
名前を呼ばれたのは指名選手の中で最後となる123番目だった。185cm、75kgのすらりとした体型から今夏の県大会前の練習試合でストレートが最速145キロをマークした伸び盛りの本格派右腕だ。 門前高校では1年春からベンチ入りしたが「1年上の先輩が9人しかいなかったので……」と本人は謙遜する。中学時代は輪島中の軟式野球部に所属し、当時は外野手だった。ただ、野球を本格的に始めたのは中学校に入ってからで、小学校までは陸上部に所属し、短距離走などで磨いてきた快足を売りにしてきた。 高校で投手に転向したのは門前高校OBで星稜の監督として甲子園で通算22勝を挙げ、現在はアドバイザーを務める山下智茂氏からの勧めだった。 「最初に山下先生から投げてみろと言われて。それからピッチャー転向を勧められました。個人的にはピッチャーはやってみたかったですし、肩には元々自信があったので、最初は投げるだけでも楽しかったです」 だが、実戦登板が増え、経験を積んでいくうちに投げることへの責任を感じるようになる。 「展開によっては自分のせいで負けてしまうこともあるので、1球1球、大事に投げなければいけないと思うようになって。どこかでプレッシャーが見えない圧に感じたこともありました。自分はメンタルが強い方ではなかったんですけれど、山下先生から“弱気は最大の敵”という言葉をよく言われました。厳しい場面になれば、その言葉を頭に浮かべるようにしました。それに、自分のせいで負けるというより、逆に言えば自分のピッチングで流れを変えたり勢いをつけたりすることができると思うと、やりがいを感じるようになりました」 2年春の練習試合ではストレートは130キロ前後だった。「結構打たれる試合ばかりでした」と振り返るも、その夏からエース番号を背負い、秋には135キロまで伸びた。冬場にトレーニングを重ねて身体を大きくすると意気込み、厳しい冬を乗り越えるつもりだった。 だが、2024年になったばかりの元日に大地震が能登半島を襲った。あの日のことは今でも忘れられない。
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