「もう開業20年ですか」横浜線直通計画もあった「みなとみらい線」秘話 距離は短いが工事が難航した理由とは?
また、東横線とみなとみらい線共用の横浜駅(地下4層構造)の構築は、当時は中央部に1本しかなかった地下自由通路を南北に1本ずつ新設する横浜市の公共事業と一体的に進めなければならず、そもそもの協議が複雑化した。そのため、4.1kmの短い路線ではあるが、全体を2区間に分け、みなとみらい―元町・中華街間を第1工区として先行着手することになった(第1工区は1992年11月、第2工区は1995年2月着工)。
横浜駅の構築は工事自体の難易度も極めて高く、地下工事に先立って行われた線路やホームなどの地上施設を仮受けする仮設工事に際しては、「地上から仮設の支持杭を打ち込むにしても、線路と線路の間、線路とホームの間など限られた場所」を選ばなければならず、「使用できる工事機器や資材も架線や送電線などに抑えられて特殊な小型のものしか使えない」(誕生物語)といった制約が多かった。また、電車運行に支障がないよう、終電から始発までの4時間程度での工事を繰り返すという非常に手間のかかるものとなった。
さらに東横線の東白楽―横浜間(約2.1km)を地下化し(途中の反町駅の地下化を含む)、横浜駅でみなとみらい線とドッキングさせる工事も必要となった(1996年に着工)。トンネル掘削の具体的な工法等は『東急100年史』に記されているが、「営業線の直下に地下構造物を構築するという難工事」だった。 そして、2004年1月30日の深夜から翌31日の未明にかけてのわずか4時間足らずで高架線から地下線への切り替え(仮線を設けずに営業線の直下で地下線へ切り替える「線路直下地下切替工法=STRUM工法」)を完了し、31日は渋谷―横浜間での営業運転を実施。その間に点検と開業準備を行い、2月1日から、新規開業したみなとみらい線との直通運転を開始した。ちなみに開業日を2月1日としたのは「みなとみらい21」との語呂合わせの意味があったという。