【書評】本音から目をそらさない、ということ:金原ひとみ著『マザーズ』
母親たちが送る「非人道的な生活」
本書が書かれたのは、2013年。 それから10年以上が経っても、本書が母親たちの心をえぐるのは、残念ながら『マザーズ』がくっきりと浮かび上がらせた日本の母親の苦しさが、根本的にはほとんど変わっていないからだろう。 2023年11月に朝日新聞に寄稿した「母の仮面が苦しいあなたへ」と題したエッセイの中で、金原ひとみはこう書いている。 子供は可愛いし後悔はない、しかしそれとは別の次元で、人をあれほどまでに追い詰める育児は、この世にあってはならないと断言できる。(中略)あれはそれほどまでに、非人道的な生活だった。 2013年から大きく変わったのは、日常生活にSNSがさらに浸透し、若い世代の多くの情報源がSNSに占められるようになったこと。そこには子どもを産み育てる楽しさや喜びだけでなく、金原ひとみが言う“非人道的な生活”に対する怒りや愚痴、哀しさも、まるでパンドラの箱をぶちまけたように散りばめられている。 これまでは「母親なら我慢して当然」と、多くの母親たちが胸の中に封印してきた感情が、匿名が担保されるSNSのおかげで露わになり、「母親でいることは苦しい!」と、声高に叫べる時代になった。 独りで苦しまなくていいという安心感は、全身を弛緩(しかん)させてくれる。無駄な我慢には、何一ついいことはない。 だが、若い世代が、親であることの苦しさを綴った生々しい言葉に触れた時、彼らが出産や育児に不安を抱き、ためらう気持ちが生まれるのもまた、当たり前だ。実際、Z世代の約半数は将来子どもが欲しくないという。 こうして少子化は加速していくのだ。 少子化対策というのならば、この「親であることの負の感情」にもしっかり目を向けてほしいと心から願う。
小説の形を取った社会へのメッセージ
2004年、まだ多くの人が大っぴらに肯定していなかったボディタトゥーやピアス、スプリットタンを正面に据えた『蛇にピアス』で芥川賞を取った著者は、いつも自分にまっすぐだ。 社会が何を必要としているかではなく、世の中の本音から目をそらすことなく、自分が今何を感じ、社会がどう見えているかを言葉にして、世に出してきた。 『アッシュベイビー』(2004年)では同性愛や小児性愛を、『持たざる者』(15年)では震災や原発事故を、『アタラクシア』(19年)では結婚生活を、そして『アンソーシャルディスタンス』(21年)では、コロナ禍で生まれた「社会的距離」を。 作品は小説という形を取っているが、その後ろに強烈な社会的なメッセージを感じる。 だからこそ、改めて実感する。 『マザーズ』が2013年という時期に描かれたことのすごさを。 そして、金原ひとみという作家が、少子化を嘆く社会にまっすぐに投じた石の重さを。
【Profile】
幸脇 啓子 編集者。東京大学文学部卒業後、文藝春秋で『Sports Graphic Number』などを経て、『文藝春秋』で編集次長を務める。2017年、独立。スポーツや文化、経済の取材を重ね、ノンフィクション作品に魅了される。22年春より、長野県軽井沢町在住