楽天が“デーブ大久保”を代行監督の代行にした理由
大久保博元監督代行は、突然巡ってきた2日のオリックス戦で、まるで一軍監督の指揮を想定していたかのように敏速に動いた。まずは打順を大きく組み替えた。1番に藤田、2番には8番が定位置だった嶋を入れ、遊撃には、打率.244と低迷していたベテランの松井稼ではなく、若い5年目の西田を使った。 新1、2番こそ得点にはつながらなかったが、4回には無死一塁からラッツの先制2ランでリードすると、5回裏、二死一、二塁からは、ドラフト1位の松井裕樹に勝ち星をつけるという狙いをこめて、勝ち投手にあと一人となってい今季初先発の宮川をマウンドから下ろし、若き左腕を右のペーニャにぶつけた。采配はズバリ的中。タイミングを外した、外への変化球で怖い助っ人をボテボテのセカンドゴロに打ち取ると、6回先頭のT-岡田からは、高めに伸び上がってくるストレートを軸に4者連続三振。7回も無得点に抑え、8回福山、9回斎藤のリレーに助けられて悲願のプロ初勝利を手にした。 投手とは不思議な人種で好投しながらも敗戦投手となるよりも、どんな形であれ、記録に残した初勝利というものが大きな自信に変わる。二軍監督として、松井の才能に触れ、根気強く指導してきた大久保監督代行は、そういう投手心理の機微を知り尽くした上で、スーパールーキーに初勝利を与えるための機会を、その初采配試合で作ったのだ。制球に苦しみ4連敗したまま、二軍に落ちた松井を、ようやくプロで生きるための入り口に立たせた。試合後、大久保監督代行は、「今まで星野監督以下、一軍、二軍全員で築いてきたものの勝利。みんなと相談しながら戦った」と謙遜したが、チームにとって次につながる収穫をプラスしての見事な“監督デビュー”であった。 大久保監督代行の誕生の裏には、三木谷オーナーの“鶴の一声”があったようである。星野仙一監督が、腰の難病で指揮を執ることができなくなり、5月26日から佐藤義則投手コーチが、代行として指揮をとることになったが、9勝14敗と負け越した。前日のオリックス戦では、序盤に奪った4点のリードを守りきれずに惨めな逆転負けを喫していた。その負け方が、どうもオーナーの逆鱗に触れたようで、あるフロントの人間に対して、オーナーから「何か考えろ」と連絡が入ったらしい。 佐藤義監督代行も、慣れぬ監督業に周囲の人間に「疲れた」とも漏らしていたという。佐藤義監督代行は、ピッチングコーチとしては優秀だが、監督としての100パーセントを求められると、監督経験もなく不足の部分は多々あった、そこで二軍監督として、チームマネジメントの経験もあって、しかも、星野監督に負けないほどの熱血指導と妥協を許さぬ厳しさをオーナー自身に買われていた大久保監督代行に白羽の矢が立った。