「あんたじゃ3人育てられないだろうからうちで引き取ってやる。ただし...」働き盛りの夫のがん発覚。その時義父の驚くべき提案とは?
3人のお子さんを専業主婦として育て、2人目お子さんの中学受験が終了したタイミングで、夫のがんが発覚した千鶴さん。「5年生存率は3~4割」と医師に告げられ、目の前が真っ暗になったそうです。 すぐに手術をしますが、大企業からベンチャー企業に転職したばかり、タイミング悪く保険も解約してしまった状態のため、千鶴さんの不安は募ります。夫婦が両方とも健康であること、夫の収入が変わらないことを当たり前のように思っていた「甘さ」を後悔したという千鶴さん。 そして夫・正敏さんのがんが転移していることが発覚します。 取材者プロフィール 千鶴さん(仮名):43歳、夫のがんが発見された当時は専業主婦。お子さんが3人。 正敏さん(仮名): 46歳。働き盛りでがんが発見される
夫のがん転移が発覚…
「手術から半年後の検査で、肺に影があると言われたとき、息がとまったように感じました。それだけはどうかやめてください、と毎晩神様に心の中で祈っていましたから。 ご本人に告知しますか、と訊かれたとき、万が一を考えなくてはならないほど悪いのかと耳鳴りがするほどショックを受けました」 そう語る千鶴さんの目は、当時を思い出して赤く充血しています。 再発の告知を受けて、転職したばかりのベンチャー企業は契約を満了、つまり退職することになりました。 小さな企業だったので、財政的にも体力があるとは言えず、1年以上の休職は難しかったとのこと。まして病状は見通しが立たず、「しっかり回復したらば、また再雇用の可能性もありますから」と告げられます。正敏さんと千鶴さんは病気のことと合わせて経済的不安も抱えることになり、打ちのめされたと言います。 でもこの瞬間、千鶴さんの中でスイッチが入りました。
「全員は引き取れないけれど……」義父の驚くべき言葉
「私はそれまで、何かに頼って生きていたと思います。もちろん勉強や仕事は頑張ったけれど、自分の力で運命を変えたいとか、自分が何とかしないと全部終わり、という場面はありませんでした。 でも大好きな夫のがんが再発、無職、そして子どもはまだ中学生と小学生。なにがなんでも、私がつぶれるわけにはいかない。働こう、働くしかない。そう思いました。私は夫の病気を代わってあげられない。してあげられることは、経済的な重圧と不安を少しでも軽減してあげることだと思ったんです」 それまで家事と育児を担ってきた千鶴さんですが、再発が告知された翌日、ハローワークに行き、転職サイトに登録、カウンセリングにも行ったそうです。 しかし、紹介される仕事に正社員は少なく、あったとしても千鶴さんの状況や希望と合うものはありません。正敏さんは再手術をすることになり、放射線治療も始まるので数ヵ月の入院と通院を交互に繰り返すことになりました。 「ごめん、こんなことになって本当にごめん」と繰り返すようになった正敏さん。そのたびに、千鶴さんは「大丈夫、大丈夫! なんとかするし、なんとかなるからね!」と伝えました。 でも口座のお金は子どもの教育費とローン、生活費でどんどん減っていきます。この頃、地方で農業を営んでいて、今は引退している正敏さんのご両親から、千鶴さんのところに電話がかかってきます。 「正敏は難しいかもしれないんだろう。そうなったら千鶴さんには子ども全員は育てられない。うちも引退したとはいえ、農業を引き継いでくれる跡取りは欲しいところだし、長男だけならこっちで引き取って育ててやるよ」 義父のその言葉を聞いて、千鶴さんは衝撃を受けます。確かに正敏さんは家業を継がず田舎を飛び出てきたので、実家との関係はそれまでとてもドライでした。そのため、干渉し合わずにやってこられたのですが、まさかそんな話が出てくるとは予想もしていなかったといいます。 「ありがとうございます。でも、家族が離れ離れになることは考えていません。長男と長女はとても頑張って今の学校に進学したので、なんとか通わせてやりたいと思っています。彼らの将来の仕事も、私が口を出すことではないと考えていますし……。とにかく家計のことは頑張ってみます」 なんとかそれだけ答えて、電話を切った千鶴さん。義両親に悪気などあるはずもなく、しかし家族がバラバラになるような選択は絶対にありえないと感じました。 その夜は一睡もせず、通帳を眺め、ある決意をします。
写真/Shutterstock 取材・文/佐野倫子 構成/山本理沙
佐野 倫子