時間は「生き方」。時間外労働より団らん…日本と価値異なる海外の時間感覚
セカセカしない、させない国フィンランド
北欧のフィンランドでは、「時間は生き方の問題」であることを教えられた。バスに乗るときに運転手に行き先を尋ねるために、後ろの乗客の乗車の邪魔にならないよう通路の端に身を寄せたのだが、後ろの乗客たちは決して乗ってこようとはしなかった。一方、運転手も言葉が通じない筆者の質問をきちんと理解するために、アイドリング状態のエンジンを切って対応してくれた。 ホテルのフロントや、スーパーマーケットのレジでも同様で、一人のお客がスローペースであろうとも、その客の用件が終わるまで待つのが当然の行動で、通貨が判別できずにもたついている筆者をせかしたり、非難めいた行為をとるようなそぶりはなかった。ましてや前の客が支払いを済ませていないのに、次の客が横から会計を始めるようなことはなかった。 ハンディキャップを負っている人に手を差し伸べる支援も自然に行われていた。身障者には、相手の尊厳を傷つけないよう、本当に困っている部分だけを補助する。どんなに時間がかかろうとも、本人にやる意思があるならば、本人に任せる。それは、身障者なのではなく、個人差と考えられているようだ。 街中では、車のこないときには信号を無視して横断する人は少なくないが、人を押しのけたり、人にぶつかりながら先を急ぐような人には一回も会わなかった。国際競争力があっても『時』がゆったり流れる国は、日本にとって良いお手本だ。
家庭の幸せを教えてくれたマレーシア
マレーシアのジョホールバールの日本企業では興味深い話を聞いた。ジョホールバールはマレーシアの南端にあるために開発が遅れ、シンガポールとの間に橋が開通する前は首都クアラルンプール地域との経済格差が大きかった。そこに目をつけたのが日本企業で、安い労働力を求めてジョホールバール地域に生産工場を建てた。ところが、大変だったのが時間外の労働力確保だったのだという。生産が軌道に乗ってくると注文も増え、工場は増産をしようとした。ところが、割増賃金に労働者が乗ってこなかった。 もともとマレーシアは自然資源に恵まれ、ジョホールバール近辺では野生植物の果実などを採っていれば、飢えはしのげる土地柄である。どうせ割増賃金をもらっても買うものがないのだから、早く家に帰って家族とくつろぐ方がよい、とのことで時間外労働に応じなかったのだ。 ちなみに、1957年度から総理府(現内閣府)が実施している国民生活に関する世論調査によれば、日本では「家族の団らん」に充実感を感じる人が83年度の調査で初めて大幅に減った。「生活の充実感」の項目は74年度から取り入れられたが、「家族の団らん」に「充実感を感ずる」と答えていた人は毎年43~46%の範囲で変動がほとんど無かったのだが、83年度の調査で前年から7ポイントも急落し37%になった。女性では49%から45%と若干の減少に止まったが、男性の37%から28%への減少が大きく、明らかに国民の意識に変化が見られる。 家族が豊かになるように、残業を重ねて電化製品をそろえ、家財道具を増やしているうちに、団らんの時間がどんどん減ってしまったのだ。核家族化が進み、家族の人数が減っているのに加えて、家庭の中でも個人行動が進んでしまった。朝起きる時間はまちまち、朝食もバラバラ、出掛ける時間、帰宅時間もそれぞれで、夕食も別々。したがって4人家族でも、1日の食事は7~8回に分かれる家庭も珍しくはない。好きなテレビも趣味もバラバラなので、家族は各々自分の部屋で時間を過ごすことになり、「家族の団らん」の時間はほとんど消えてしまった。 話はマレーシアに戻るが、人々の残業に対する意識が変化したのはホンダのオートバイの登場だった。オートバイが手に入れば、家族で遊びに出掛けることもできるし、遠くのショッピングセンターまで買い物に行って、いろいろなものを購入できる。物欲に目覚め、便利で値段の高いオートバイを買いたい一心で残業を引き受けるようになったという。 日本人は現地へ進出をすることによって、地元経済を豊かにした反面、現地の人々の家庭の幸せを壊しているのではないか。同じ日本人として、何だか悪いことをしているような気がした。 ---------- 織田一朗(時の研究家)山口大学時間学研究所客員教授 1947年生まれ。71年慶應義塾大学法学部法律学科卒業。(株)服部時計店(現セイコー)入社。国内時計営業、名古屋営業所、宣伝、広報、総務、秘書室勤務を経て、97年独立。以後、執筆、テレビ・ラジオ出演、講演などで活動。日本時間学会理事(2009年6月~)、山口大学時間学研究所客員教授(2012年4月~) 著作:『時計の科学―人と時間の5000年の歴史』(講談社ブルーバックス)『「世界最速の男」をとらえろ!』(草思社)『時と時計の雑学事典』(ワールドフォトプレス)『あなたの人生の残り時間は?』(草思社)『「時」の国際バトル』(文春新書)『知ってトクする時と時計の最新常識100』(集英社)『時計と人間―そのウォンツと技術―』(裳華房)『時と時計の百科事典』(グリーンアロー出版社)『時計にはなぜ誤差が出てくるのか』(中央書院)『歴史の陰に時計あり!!』(グリーンアロー出版社)『日本人はいつから〈せっかち〉になったか』(PHP新書)『時計の針はなぜ右回りなのか』(草思社)『クオーツが変えた“時”の世界』(日本工業新聞社)など多数。