「おなか張る」から、亡くなるまで4カ月…生身の人間を苦しめたトロトラスト 知識ゼロから始まった「日本初の薬害」の取材
「国内初の薬害」との指摘もある、放射性物質を含む造影剤「トロトラスト」による健康被害。2022年春以降この問題の取材を続けた結果、多くの民間人が被害に遭いながら、国の支援対象になっていなかった事実が明らかになった。患者の遺族らを訪ね、その思いにも向き合ってきた。記者がこれまでの取材の軌跡をたどり、トロトラストによる被害の背景や実態を検証し、伝えていくことの意義を改めて考える。(野村阿悠子) 【画像】トロトラストを注入され死亡した女性のリストの写し。上部に民間人を示す「一般」の文字がある(画像を一部加工)
「トロトラスト」って知ってる? 始まりは医師の問いかけ
「トロトラストって知ってる?」。22年5月、信州大名誉教授で医師の清沢研道(けんどう)さん(80)=松本市=にこう問いかけられた。第29回信毎賞受賞が決まった清沢さんに取材した帰り際。聞いたことのない単語に、「え、何ですか?」と聞き返すと、清沢さんは静かに言った。「明らかに使っちゃいけない薬だった。僕は、日本で初めての『薬害』だと思っている」 1930~40年代を中心に国内で使用された造影剤「トロトラスト」。放射性物質「二酸化トリウム」を主成分とし、注射されると体内にとどまって放射線を出し続け、多くの患者ががんを発症するなどして亡くなった。「そんな恐ろしい薬が使われていたのか」と驚くとともに、全く知らなかったことを恥じた。しかし、周りに知っている人はいない。知人の薬剤師に聞いても「知らない」と言う。
国の支援や補償、全く足りていないのでは
76(昭和51)年、旧陸海軍病院でトロトラストを注入された戦傷者に健康被害が多数発生していることが全国紙で報道され、国は77年度以降、傷痍(しょうい)軍人を対象に検査を実施。トロトラストが沈着していると判定された246人について恩給を増額するなどの支援をした。清沢さんは、沈着を判定するため国が設置した委員会の委員長だった。 一方、国は78年の国会答弁で、トロトラストを注入された患者は「2万ないし3万人と言われている」との見方を示していた。「国の支援や補償は全く足りていないのではないか」と疑問が湧いた。 委員会は2017年、把握する患者が全員死亡したとして解散。厚生労働省にトロトラストの使用実態や国内流通、ドイツの製造元からの輸入経路に関する資料がないか尋ねたが「存在しない」。委員会の議事録も「ない」とされた。被害が歴史から消されかけている―。そう感じた。