「おなか張る」から、亡くなるまで4カ月…生身の人間を苦しめたトロトラスト 知識ゼロから始まった「日本初の薬害」の取材
見つけた資料
専門家への取材を重ねると、長崎大原爆後障害医療研究所(長崎市)にトロトラスト患者の資料が保管されていることが分かり、昨年2月に訪ねた。資料保管室にあったのは、今も放射線を出し続けているという患者の臓器の標本や、患者に関する大量の紙の資料。その中に「都道府県別」と書かれたファイルがあった。長野県のページを開いた時に気付いた。「あれ? 女性が1人いる」。女性が傷痍軍人である可能性は低い。県内の13人が載ったリストには、国の支援を受けていないとみられる患者が他にも数人いた。 リストの情報を頼りに、患者の遺族を探し歩いた。千曲市の遺族にたどり着いた時、「トロトラストの取材をしています」と告げると「ああ、トロトラストね」とすぐに返ってきた。取材を始めて約1年、一部の医師を除いてトロトラストを知る人に出会ったことはなかった。初めての反応に面食らうとともに、「遺族にとって被害は今も続いている」と直感した。
生身の人間を苦しめた被害の実態
この遺族の父親は従軍中にトロトラストを注入されたとみられるが、国の補償は受けていなかった。「おなかが張る」と不調を訴えてから亡くなるまでわずか4カ月。肝臓の血管に腫瘍ができ、腹水がたまって苦しんだ。若い担当医に「俺はもう助からないから、死んだら解剖して役立てて、立派な医師になって」と声をかけていた―。遺族は「おやじのように苦しんだ人がいると知ってもらえれば、供養になります」と言った。それまでぼんやりとして見えづらかった被害を、「生身の人間を苦しめたもの」として実感できたような気がした。 昨年10月、国の支援から漏れた患者が多数いた可能性があると報道。遺族の証言なども記事にした。一方、武見敬三厚労相は同月、国として被害を「新たに調査することは考えていない」との姿勢を示した。 患者の遺族や患者を知る医師も高齢化する中、被害の実態を歴史に残す機会は今しかない。清沢さんや遺族の思いを背負ったからには、できる限りの取材を尽くそう―。覚悟を決めた。