第94回選抜高校野球 国学院久我山、春便り 二松学舎も夢へ一歩(その2止) /東京
<センバツ高校野球> ◇「さらに強く」狙うは全国制覇 二松学舎大付にも28日午後3時20分ごろ、選考結果を知らせる電話が入り、本城学(さとる)校長が校長室で受けた。「謹んでお受けいたします。がんばります」。本城校長とともに吉報を待ち望んでいた教員らも安堵(あんど)した様子だった。 同校野球部が使用するグラウンドは千葉県柏市にあるが、この日、野球部員は千代田区の校舎内で待機。校舎のエントランスロビーで本城校長が「秋の大会の時より自分たちが強くなっていることを自覚し、ぜひ優勝して監督に恩返しをしてください」と出場決定を報告すると、選手たちは引き締まった表情で「はい」と力強く返事した。 二松学舎は昨夏の東東京大会で優勝し、夏の甲子園に出場。この際は3回戦敗退となったが、エースだった秋山正雲(せいうん)さん(3年)が注目を集め、秋のプロ野球ドラフト会議で千葉ロッテに指名された。 3年生が引退し、新メンバーで臨んだ昨秋の都大会でも、チームは実力を発揮。準決勝までの7試合中4試合でコールド勝ちを収め、うち3試合は2桁得点で決勝進出を果たした。 国学院久我山との決勝では、九回表まで3―1とリードしながら、その裏に相手のサヨナラ打で惜しくも準優勝となった。その悔しさを忘れることなく、さらなる練習を重ねてきた。 二松学舎の春の甲子園での最高戦績は、1982年の準優勝という輝かしい歴史がある。その時のエースだった市原勝人(かつひと)監督は今回の吉報を受け、「(センバツ出場が決まるまで)選手たちも苦しい日々だったと思う。選んでいただいたからには上を目指して勝たなければ、という話をしている」と語った。 また、主将の小林幸男(2年)は「率直にうれしい。一戦一戦、勝ちにこだわりたい」と意気込んだ。昨夏の甲子園にスタメンで出場し、昨秋の都大会でも2本塁打を含む13安打でチームを引っ張った瀬谷大夢(せやひろむ)(同)は「昨夏の経験を生かして頑張りたい」と抱負を語った。秋山さんの背負った1番を引き継いだエース・布施東海(とうかい)(同)は「チームを勝利に導ける投手として貢献したい」と気を引き締めた。 ◇センバツ出場は6回目 1948年創立の私立校。原点は文豪・夏目漱石や柔道の講道館創設者・嘉納治五郎らを輩出した1877(明治10)年創立の「漢学塾二松学舎」。 「東洋の文化を学ぶことこそが、我が国本来の姿を知りうることになる」と唱えた創立者・三島中洲の教えを守り、「温故知新」「知行合一」を基調とした教育理念を掲げる。所在地は千代田区九段南2の1の32。 野球部は1958年創部。過去のセンバツ出場は80、82、2002、04、15年の5回で、夏の甲子園出場は4回。部員数は43人。ユニホームは、学校カラーの緑。OBに元千葉ロッテ主力選手の初芝清氏、広島カープから米大リーグ移籍を目指す鈴木誠也選手らがいる。