<インタビュー>トリー・ケリー、自分を信じ突き進んで掴んだ成功「自分に合ったことを全力でやればいい」
アジアツアーの一環で初来日したトリー・ケリーに念願叶ってインタビューした。1992年生まれの彼女は、6歳で初めてコンテストに出場したのを皮切りに「音楽が大好き。ただ歌いだけ」という思いを大事に活動を続けてきた。そのまっすぐな思いは歌からしっかり伝わってくる。そして、歌唱力と声量を兼ね備えた実力は、高く評価されていて、これまでに共演した人もジョン・バティステ、ジェイコブ・コリアーといった才能溢れる面々。2017年日本公開の大ヒット映画『SING/シング』にも象のミーナ役で出演して、「ドント・ユー・ウォーリー・アバウト・ア・シング」や「ハレルヤ」を熱唱した。 そんなトリーの新作『TORI.』は、ジョン・ベリオンをプロデューサーに迎えて、さまざまな音楽の要素がシームレスにつながっている展開にワクワクしたり、歌詞ではなく、たとえば「ウ~サッササ~♪」などと歌うコーラスが楽しかったりと、独自の世界を創り上げている。また、フィーチャリングで明記はされていないけれど、「thing u do」にジョン・バティステ、「cut」にティンバランドが参加もしている。 今回の初インタビューでは新作についてはもちろんのこと、アメリカの女性アーティストたちのセクシーすぎる衣装についても話を聞いた。というのは、トリーに惹かれるきっかけとなったのが彼女の2015年のデビュー曲「Unbreakable Smile」だったからだ。「裸にならなくたって、ライブをソールドアウトにできる」という歌詞に共感した。 ライブ前の慌ただしい時間を割いて取材に応じてくれたこの日も、白のタンクトップにデニムのショートパンツとカリフォルニアの健康的なイメージそのままの女性だった。 ――新作『TORI.』は、どんなアイディアから出発したアルバムですか? トリー・ケリー:私自身が影響を受けた90年代後期から2000年代初期のポップR&B、具体的にはアリーヤ、ティンバランド、クレイグ・デイヴィッド、そしてUKサウンドがインスピレーションとなっています。 ――ひとつの特長として多彩な要素がとても自然に、まさにシームレスにつながっていることですが、こういう音楽が生まれた背景にはどんなことがありますか? トリー:アーティストとしても、女性としても、今までで最も自信を持てていたので、まずは私のいろんな側面を披露したかったんです。これまでにやってきたアコースティック・ギターの弾き語りやゴスペル、R&B、ポップ、さらに新たなサウンドも意識しつつ、そのうえで自分のパフォーマーとしての魅力が伝わるような楽曲作りもしたいと考えたんです。 ――ステージで歌うことを想定して曲作りをしたということですか? トリー:はい。ステージで自由に楽しく踊っている自分を思い浮かべながら曲を書きました。今回のツアーでも曲が映えていると思うし、アジアでのライブは初めてだけれど、すごく楽しんでパフォーマンスできています。 ――90年代後期から2000年代初期の音楽の影響ということですが、「thing u do」では80年代のヒット曲、スザンヌ・ヴェガの「トムズ・ダイナー」のイントロを引用しているでしょ。これはどうして? トリー:スタジオで、自分達で作ったビートやドラムの音に合わせてハミングしているときに、プロデューサーのジョン・ベリオンが「トムズ・ダイナー」のメロディを口ずさみはじめて、「これ、いいじゃん」と言ったのが最初でした。私はすでにサンプリングされている曲だからって難色を示したら、ジョンは「それがいいんだよ」って。彼は古い曲に敬意を払ってサンプリングするのが得意なんですけど、それを新鮮でおもしろいものに仕上げることができる人。サンプリングが大いに流行った90年代に通じるところもあったので、「じゃあ、取り入れましょう」と。ただ正確にはサンプリングではなく、私が歌っているんだけど…… ――その「thing u do」の中盤で男性が叫んでいるでしょ? あの声は、ジョン・バティステ? トリー:そうです。曲を書きはじめた段階で、ジョン・バティステのことが頭に浮かんでいました。ジョンと私は、彼の「Sing」という曲で共演していて、プロデューサーのジョン・ベリオンは、ジョンのアルバム『ワールド・ミュージック・レディオ』を手がけたといった関係で、私たち3人は友達同士なんです。それでニューヨークのスタジオでレコーディングの最終段階、まさに仕上げようとしていたギリギリのタイミングでジョンに「ちょっとスタジオに来てくれない?」とメールをしたら快諾してくれて、本当に来てくれました。 ――でも、ジョン・バティステは、なぜコーラスとかではなく、最後は叫ぶような語りになったのかしら? トリー:スタジオで彼に好きなようにやってと言って、録音ボタンを押したら、即興であのスクリーミングになったんです。それがあの歌に新たな生命を注ぎ込んでくれたと思っています。 ――ところで、ジョン・ベリオンと組むのは初めてですよね。今回、彼にプロデュースをお願いするに至ったのはどんな理由から? トリー:プロジェクトがスタートした当初、誰と組むのがいいんだろうかと、いろんな人と試してみました。そのなかでジョンには「shine on」と、「alive if i die」の2曲をまずお願いしたら、すごくよくて、もう彼しかいないと確信したので、アルバム全てのプロデュースを依頼することにしたんです。彼は、私がこれまでやってきたこと、そしてこれからやりたいこともすごく理解してくれました。彼自身もアーティストなので、私が描くヴィジョンを深く理解してくれたのがとてもうれしかったです。 ――さて、ここからはデビュー曲「Unbreakable Smile」と、それに関係する話をしていきたいんだけれど、まずこの曲が生まれたビハインド・ストーリーから聞かせてもらえますか? トリー:「Unbreakable Smile」は、私にとって特別な曲のひとつです。10年前の2014年、デビュー・アルバムを制作しているとき、レーベルからまだシングルにふさわしい曲がない、トリー・ケリーをどう紹介したらいいかわからないって言われて。大物プロデューサー、ソングライターたちと仕事をしていたけれど、自分でしっくり来ていないところがあったし、レーベルの言葉にちょっとうんざりしていたので、「このモヤモヤを全部吐き出したい。葛藤するなかで、自分のために曲を書く必要がある」と思ったところから、まるで日記のように素直な心情を書き綴ったのがこの曲でした。 ――私は特に終盤の「裸にならなくたって、ライブをソールドアウトにできる」という歌詞に共感しているんだけれど…… トリー:当初は、みんながこの曲にこんなにも共感してくれるとは想像していなかったのですが、今では私の誇りになっています。そして、最終的にこの曲がアルバムのタイトルになり、シングルにもなったんですよね。 ――当時の記事で、12歳のときにレーベルとのミーティングで見せられた、同世代の女の子が肌を大胆に露出した衣装で歌っているミュージック・ビデオに違和感があったことがこの曲を書くきっかけにもなったとありましたが、実際にそんなエピソードがあったんでしょうか? トリー:はい、レーベルの責任者が見本として次々に見せてくれたMVに、私はとても混乱しました。そういう映像に共感することができず、12歳だった私は、それは大人になってからやるべきことだと思ったんです。最終的にそのレーベルとは契約しないで、自分の信じる道を歩もうと決心したわけですが、大人になった今も違う方法はあるはず。私は、自分には忠実であり続けようと思い、今に至っています。 ――それでもアメリカではますますセクシー化が進んでいますよね。肌を露出した衣装が当たり前のことになっていますか? トリー:私は子供の頃から音楽業界にいて、いろいろ見てきているのですが、ポップ・ミュージックにおいて肌の露出が多い洋服がどんどんスタンダードになっているのは確かです。でも、そこを批判するつもりは全然なくて、それぞれの価値観で判断すればいいこと。私は自分に合った心地よいものを着て、自分に合ったことを全力でやればいいと思っているだけ。その考え方を貫きながら、こうして自分のキャリアを積んでこられたことはよかったと思っています。 ――最後に今後のヴィジョンを教えてもらえますか? トリー:ツアーでパフォーマンスするのが大好きなので、まずはこのアジアツアーが最初で最後にならないことを願っています(笑)。まだ行ったことがない場所があるので、世界をもっと旅したいとも思っています。そのためにも作品作りに真摯に取り組まないといけないのは当然のこと。今回は実験的なサウンドのアルバムになったけど、次がどうなるか、そのときに自分の中からどんなものが出てくるか、それ次第なので、私自身も楽しみにしています。 ――ありがとうございました! インタビューできて、本当によかったです。 これはもう20年ほど前のことだけれど、リスペクトするリッキー・リー・ジョーンズにインタビューしたとき、「このごろ悲しいことに音楽が流行とか、ファッションに直結しているのよね。マドンナもシェリル・クロウも自分のポリシーで洋服を選んでいるというよりは、トレンドのファッションだから着ているように私には見えてしまう。自分らしくあることが尊ばれるのが難しい時代になっているわね。全てが売るためを前提にしているようで」と率直に語った言葉を今も鮮明に覚えている。だから、リッキーに「後継者がここにいましたよ」と言いたい思いになった。初来日公演のチケットは、発売直後にソールドアウトとなって、入手できなかったという声も聞くので、またすぐにでも日本単独でもいいので、ぜひコンサートを行ってほしい。 Text by 服部のり子 Photo by 古溪一道