「東大出身のマスター」が出すお酒はウマいのか――日本にまん延する「学歴信仰」の謎
「東大出」の酒の味
サンデルが同書で紹介した研究が示すように、「低学歴」に対する低評価、「高学歴」に対する高評価は、学歴を持たない人々でさえ内面化しがちである。日本でも、自身の学歴に対する卑下や、難関大学出身者に対する過剰な敬意などが随所で観察できる。 筆者の見聞でも次のようなことがある。筆者は、数年前まである都市に存在したバーに足繁く通っていた。そのバーの店主は俗に日本一と呼ばれる中学・高校から東京大学法学部に進み、大企業で課長まで昇進するも、退社したのちに夜の店の経営を始めた。 不思議だったのは、夜の街の同業者や客の多くがこの店について語る時、店そのものの良し悪しよりも「○校出身」「東大出」という点を必ずといっていいほど強調、連呼したことである。灘や開成、東大の出身だと酒の味がよくなるなら別だが、脱サラして苦闘する店主に対してやや失礼ではないか、とも思われた。 だが、よくよく見ると店主自身も東大を売りにしている気配がある。高学歴とは無縁な同業者や客からすれば、東大出の店主の仕事ぶりにあれこれ文句をつけ、からかえるところにこそ妙味があったのかもしれない。いずれにせよ、大学と縁のない人でも東大には非常に大きな価値を感じている様子がよくわかった。
「東大は日本そのもの」?
多くのエリート校が存在する米国とは異なり、日本の場合、サンデルのいう「学歴偏重主義」の頂点には常に東大が君臨し、人々のマインドを支配している。それは、日本の近現代そのものが東大を頂点とするシステムによって生み出されたことと関係するだろう。ある研究会で、京都大学出身の社会学者が「要するに東大が日本そのものなんですよ」と語るのを聞いたことがある。これはいい得て妙のフレーズである。 歴史をさかのぼると、国家が作った大学である東大とその前身校の使命とは、つまるところ日本の近代化を急速に推し進める人材を急速生産することにあった。つい最近までマゲを結っていた人々とその子息の中からエリートを急造し、民衆を統治させ、各方面の指導にあたらせる。 明治維新から最初の対外戦争である日清戦争まで26年、日露戦争まで36年しか経っていない。短期間で巨大な機構を作り上げ、各方面に指導者を配置しようとするのだから、随所で大きな無理や摩擦が生じた。その無理や摩擦の吸収と克服を積み重ねて、現代にいたる日本が形成されていく。 *** 甲南大学の尾原教授は次のように指摘している。 「歴史的に東京大学は最高学府の頂点に君臨してきました。しかし一方で、東大がそのような特権的な地位を占め続けることに反発する教育者・思想家が数多く存在したために、東大の一極集中が多少なりとも緩和され、社会の多様性が保たれてきた側面があります」 「この世の中には、偏差値だけでは測れない価値がたくさんあります。もし現在の“東大信仰”が行き過ぎているとすれば、誰かがそれに対抗する価値観を打ち出す必要があると思います」 ※本記事は、尾原宏之『「反・東大」の思想史』(新潮選書)に基づいて作成したものです。
尾原宏之(おはら・ひろゆき) 1973年、山形県生まれ。甲南大学法学部教授。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。日本放送協会(NHK)勤務を経て、東京都立大学大学院社会科学研究科博士課程単位取得退学。博士(政治学)。専門は日本政治思想史。首都大学東京都市教養学部法学系助教などを経て現職。著書に『大正大震災―忘却された断層』、『軍事と公論―明治元老院の政治思想』、『娯楽番組を創った男―丸山鐵雄と〈サラリーマン表現者〉の誕生』、『「反・東大」の思想史』など。 デイリー新潮編集部
新潮社