JR東日本が変えた「ジャカルタ通勤鉄道」の10年 初代現地出向者に聞く海外鉄道ビジネスの現場
従来の日本のODA的な支援はハコモノをつくっておしまい、車両を入れておしまい、メーカーの2年の保証期間が過ぎたらあとは勝手に、というのが基本スタンスだった。実際、日本は1970~1980年代に東南アジアや南米、アフリカなどの案件を受注したものの、車両はすぐにダメになり、線路もガタガタで、その後継をいつの間にか中国に取られていたというのが世界的な流れだ。そんな中、JR東日本のインドネシアでの取り組みはこの流れに風穴を開けた格好だ。一民間企業がここまで行ったのは英断であるとともに、車両メーカーではなく鉄道事業者だからこそ成しえたことといえる。
■JR東にとってインドネシアの位置付けは? ――前田さんの帰任後も、JR東日本からKCIへの出向は継続しています。今では、インドネシアにはグループ会社のJR東日本テクノロジー(JRTM)やJR東日本商事の事務所がありますが、まずJR東日本本体が進出して、グループ全体を動かしていくというイメージでしょうか。 私が行かせていただいた2015年頃、さらに言えば2014年にMoUを結んだときからしても、現在のこの形を想像していたかといえば想像しきれていないところが多々あった。やはりインドネシアの方々のニーズに合わせた形で、かつ我々ができるところ、やりたいところの形が何なのかを日々模索しているというのが現状かもしれない。ニーズがある限り、我々としてはこれからもどんどん出ていきたい、発展していくところに力を割いていきたいというのが本音だ。
――JR東日本はタイ・バンコクのパープルラインのメンテナンスを丸紅や東芝と合弁で受注、ベトナムやバングラデシュのODA案件を一部日本コンサルタンツ(JIC)経由で行っているほか、イギリスではオペレーターに参画していますが、国際ビジネスのボリュームではインドネシアが一番大きいのでしょうか。 架線電圧が1500V直流、線路の幅1067mmというところは日本とニュージーランドとインドネシアくらいだと思うが、そういった関係で親和性があるのは間違いない。さらにいうとインドネシアの方々が日本について非常に勉強していただいており、逆提案というか、こんなことはできるかどうかと提案をもらえる関係性が構築できている。