北村有起哉、“不動の名脇役”としての存在感 朝ドラ『おむすび』で体現する“人生の線”
18歳の聖人役を北村有起哉が演じていたことも話題に
ここでその詳細にまでは言及しないが、聖人の過去を知ったいま、彼の娘に対する態度を「異常」などとは決して言えやしない。視聴者のひとりである私のこの心の変化は、米田聖人という人間の人生を北村が表現し続けているからこそ生まれたものだ。『おむすび』の世界が“現在”から“過去”へと移り変わっても、聖人は分断されることなく、ひとつの人生として固く結びついている。どこまでも真っ直ぐで不器用な人間を、俳優・北村有起哉は器用に丹念に表現してみせている。 3週目に放送された第12話では、北村が18歳の頃の聖人を演じていたことが話題になった。年相応の若い俳優に演じてもらうのではなく、50歳の北村がティーンエイジャーを演じたのだ。場合によってはギャグ的なものとして受け取られかねないシチュエーション。しかし多少の違和感こそあれど、私たちの誰もがそこに若き日の聖人を見たはずである。これこそまさに、時が移り変わっても、北村が聖人の人生を生き続けていたからだと思う。“過去”と“現在”はそれぞれ「点」かもしれないが、これらは確実につながっていて、「線」になっているのが分かるのだ。 また、聖人の妻にして結の母である愛子役の麻生久美子との対照的な演技も面白い。聖人の真面目さは時代が変わっても変わらないが、愛子はつねに柔軟でおおらかな人間だ。麻生のゆったりとしたセリフ回しは愛子のこういった性格を端的に表しているが、北村の発話や細かな仕草は、やはり聖人の心配性な性格を表している。聖人の真面目さは、北村の演技の細部に宿っている。俳優の感情的な演技ばかりが私たちの胸を打つのではない。演技の細部に役のキャラクターを発見したとき、私たちは胸を打たれるのだ。
折田侑駿