「予算オーバーは当たり前」グリコのSAP移行トラブル、専門家に聞く「本当の問題点」
SAPの本番移行でのトラブル、何が起きたのか?
では、その要因とは何だろうか。その可能性の1つとして鍋野氏が指摘するのは、SAPが生産管理、サプライチェーンに用いられたことだ。また、追加のニュースなどで在庫の数量に実在庫とシステム在庫に大きなギャップが生じたことなどがトラブル発生の原因を予想することができる。 そもそもSAPは、財務会計・管理会計として使われることが多く、次に展開するとしても販売・購買・在庫管理ぐらいまでが対象になる。これを生産管理、サプライチェーンにまで広げようとすると難易度は一気に跳ね上がる。複数の部門間をまたがるため合意形成が大変なのである。 また、SAPはディスクリート(組み立て型)製造のメーカーで多く採用されるものの、今回の食品メーカーのようなプロセス製造での実績や経験が少ないコンサルタントは少なく、ベンダー側のノウハウやトラブル回避のための対策や準備が不十分だった可能性だ。 決められた部品を集めてきてそのとおりに組み立てれば同じものがそろうディスクリートと異なり、食品ではたとえば調達先の異なる卵を使うと味が変わったり、気温や湿度で製造工程が変わったりすることもある。さらに、食品は注文数量の変動が大きく温度帯別管理(常温、チルド、冷凍)や消費期限/消費期限管理、食品安全のための商品トレーサビリティ管理などへの対応が求められる。顧客には、スーパーやコンビニなど膨大な納品先があるため発注を受けた商品は、納期や数量の変更は許されない。つまり、生産管理、商品を生産するための原材料手配と仕入先(サプライヤー)、そして商品の在庫・物流に関するサプライチェーンといった複数のロジスティクス業務に関わる課題なのだ。 こうした背景にあるのが、「まず欧米式の生産に対する考え方と日本式の生産に対する考え方の違いです」と鍋野氏は指摘する。 たとえばSAPは「完全見込み生産」(MTS:Make to Stock)の形態を得意とする。これは製品をいくつ作るか事前に決めて、そこから原材料をそろえ、生産計画を具体的に落とし込むという考え方だ。この場合、すべての情報が出そろわなかったり、生産数か不明だったり、納期が曖昧な状況だと、見込み生産はできない。 「欧米型の製造ではタイムフェンスという考え方があります。これは、いつまでに原材料がそろわないと納期に間に合わない、あるいは予定数が作れないというギブアップのボーダーラインのことです。時間的な制約があるため、このフェンスを越えないように生産量を決めています」(鍋野氏) 一方、日本型の製造では「標準品受注生産」(MTO:Make to Order)という生産形態が多い。これは機械や自動車などの生産が該当し、シートを変えたり、エンジンを特注品にしたり、上位グレードにしたりと、設計自体を変えるわけではないが、パターンの組み合わせに合わせてはめ込んでいくスタイルだ。 部品在庫があるものから選ぶ「部品在庫型受注生産」(BTO:Build to Order)や、半製品でモジュールごとにブロック工法でつなぎ合わせる「半製品組立型受注生産」(ATO:Assemble to Order)などもある。いずれも受注生産なので数が少なく、場合によっては「個別設計型受注生産」(ETO:Engineering to Order)による1点ものもある。 「日本メーカーは受注生産型の生産が強く、変種変量や少量生産、多品種生産が基本なので、直前に変更されると対応しようがありません。そもそもERPに向いていないのです。ERPでは、MRP(Material Requirements Planning System)という資材所要量計画を回して手配をしますが、それは見込み生産に対応するものです。ところが日本の場合、何か変更が起きたときはシステムの値を調整するために、紙やExcelが現場で行き交い、変更値を上履きしないと回らないことになってしまうため、現場の負荷も増えてしまいます」(鍋野氏) もし自動車製造で「当初1万台の出荷だったものを24時間後に1万5000台にしてほしい」となった場合、必要となる部品も人も1.5倍になるため、最初から在庫を積んでおき、従業員の残業も含めてリソースを確保しなければ間に合わない。受注生産型で生産数や納期が変われば、現場が頑張って対応するしかない。 今回のように製品出荷トラブルにつながったことから導き出される可能性として「おそらく江崎グリコ様では従来、欧米型パッケージを使っておらず、現業に合わせたシステム設計になっており、現場もそれに慣れていたのではないでしょうか」(鍋野氏)ということだ。 「システム以外はこれまでどおりなので、原材料も作業者も設備も揃っています。しかし、ここに生産指示が出せない状況が予想されます。具体的には、『顧客からの注文に対して数量と納期に従った製造指図(製造オーダー)が出せない』『実在庫とシステム在庫の数量が合わないため、商品の出荷指示が出せない』『実在庫をシステム在庫に反映してから出荷指示しなければならないのに、そのシステム操作が追い付かない』といった理由です。すなわち、現場のオペレーションとシステムの情報がかみ合っていないと考えられます」(鍋野氏) 誤解のないように言っておくと、日本型の生産方式に課題があるわけではないし、ERPパッケージ側に課題があるわけではない。あくまで強みを何にするのかというアプローチの違いだ。 「今回の状態は、よくいわれる『製番管理』(製品番号管理)がうまく行っていなかったのではないでしょうか」 製番管理とは、注文を受けたときに、何個作るかというロットやシリアル(自動車製造でいうカンバン)で、オーダーと工程に合わせて作れる数量ごとに製品にナンバーを割り振る管理手法のこと。製番ごとに調整や管理を行うため、繰り返し生産であっても、MRPのように部品中心で部品をそろえて、設備が空いてれば一気に作れるわけではない。 日本のプロセス製造の現場では、細かく作り分けたり、作る場所で少しずつ作業や機械を変えたりしているため、生産方式にギャップがあるのだ。実はSAPも製番管理に対応でき、「裏ワザ的に機能を追加できる」が、日本のいう製番管理とは少し異なっており、うまく受注生産に合わせられるように調整が必要になる。 鍋野氏は「こういった生産方式の違いが問題になったとすれば、ユーザー側の情報システムの海外パッケージに対する理解が足りていなかったのか、あるいは1次請けのデロイトがそのギャップに対する経験値が足りなかったのでしょう」と説明する。