村野武範、自覚症状ゼロからステージ4の中咽頭がんが判明も“2か月で完治”、命を救った妻の機転
学園ドラマ『飛び出せ!青春』の熱血教師役や『くいしん坊!万才』のリポーターなどで人気を博した俳優・村野武範さん(78)。突如、がんが判明したのは70歳の誕生日を迎えて間もない、2015年5月頭のことだった。 【写真】治療中の村野さん。耳の上の動脈に穴を開け、カテーテルを入れて抗がん剤を流し込む
自覚症状ゼロからのステージ4宣告
「何げなく首筋を触っていたら、のどの左側の下あたりに小指大のしこりを見つけたんです。何だろうと思って、翌日近くの総合病院に行ったら『風邪でしょう』と。でも、風邪の症状はまったくない。 おかしいと思い、かかりつけの内科クリニックに行ったところ、触診後すぐに『大きな病院で精密検査を受けたほうがいいです』と言われて紹介状をもらいました」 紹介された病院で悪性の腫瘍と判明。ただ、治療環境が整っていないからとまた別の病院を紹介される。その後、再びCTやMRI、PETなど精密検査を重ね、5か所目となる大病院でステージ4の中咽頭がんだと宣告された。 「舌の付け根に原発したがんがリンパ節に3、4か所転移、首のしこりも転移だと言われました。でも、のどに違和感があるとか口の中がしびれるとか、そういった自覚症状がなかったのでステージ4と言われても、まったく実感が湧いてこなくて」 宣告されてすぐに入院という話になり、主治医から治療法や抗がん剤、放射線治療による副作用の説明が続いた。 「治療が始まるとのどが痛くて食べられなくなるから『胃ろう』(胃に穴を開けてチューブを通して栄養をとる)の手術を入院前にしておきましょうとか、髪が抜けたり歯もボロボロになったり、体重も10キロ以上減ったりしますからね、といった具合に、心の準備もないままずっと聞かされるんです。 そこで、余命を質問したら、『それは聞かないほうがいいですよ』って少し笑って言われたので、治療を受けても、ここでもう終わりなのかもしれないなって思いました」
「妻の機転で命拾いしました」
実感がないものの、医師の言葉を受け止めるしかなかった。命をあきらめかけていた村野さんだったが、それを救ったのが妻だった。 「インターネットで〈中咽頭がん/ステージ4/末期がんからの生還〉〈中咽頭がん/名医〉〈末期がん/名病院〉などのワードを入れて検索したら、『陽子線治療』というのがある、同じ中咽頭がんの末期でも助かっている人がたくさんいるから、その治療ができる病院に行ってみようと妻に言われたんです」 当時、都内に陽子線治療ができる病院はなく、一番近いところが福島県郡山市にある「総合南東北病院」だった。 さっそく、予約を入れて紹介状と検査資料を携えて5月末に受診。治療ができるとわかり、翌週6月5日に入院する。短い余命を覚悟してからわずか2週間後のことだった。 治療は局所抗がん剤治療(動注化学療法)と陽子線治療を併用したという。 「6月9日から抗がん剤治療が始まりました。左耳の上の動脈に穴を開けて、がんがあるところにカテーテルを入れて抗がん剤を流し込む。 ペットボトルのようなものを首からずっとぶら下げているような状態で、点滴みたいな感じですね。寝ている必要もないから本を読んだり、テレビを見たり、外を散歩したりしていました。 陽子線治療は7月8日から8月3日まで平日10~15分程度。痛くもかゆくもないんですよ。日帰りで治療に通っている人もいるくらいで本当にステージ4なの?というような感じの方が結構いましたね」 ひと通りの治療を終え、8月17日に退院。ステージ4の末期がんからたった2か月で寛解したのだ。 「退院するころには首筋にあったしこりは触ってもほとんどわからないくらいになっていました。がんがなくなった。驚きましたね」 ただ、唯一つらかったことが食事だったと振り返る。 「抗がん剤による副作用で治療を始めて1か月くらいたって口の中が痛くなりました。でも、主治医は自分の口でご飯を食べることが大事。胃ろうをすると治療効果が上がらないっていうんです。だから時には涙を流しながら食べましたね。 みそ汁や水で流しながら頑張って飲み込みました。ひと噛み、ふた噛みしながらこれで生きるんだ、こうやっていれば生きていられるんだって。このときばかりはそんなことを思いながら食べていました。でも、退院してから数か月で痛みがマシになって今ではあのつらさも忘れちゃいましたけれどね」