《ブラジル》ブラジルの大学受験 長野育ちの日系4世の挑戦(13) 逆境乗り越え挑戦続ける日系仲間
最後は予備校で知り合った、とても印象的な生き方をする日系の仲間を紹介したい。ラファエル・サンタナ・デ・オリヴェイラさん(30歳、3世)はサンパウロ市で3人兄弟の末っ子として生まれた。 父親は仕事熱心で飲食店と洗車場を経営し、一家の大黒柱として5人家族を養っていた。しかし、彼が12歳の時に父が脳卒中で倒れると、家族の進路が一気に変わった。一家はデカセギとして兵庫県笹山市へ渡ることとなり、彼は到着後間もなく中学校へと通い始めた。学校に伯人は、生徒と補助教員に一人ずついるだけ。 彼は日本語が出来ず、週に一度、ブラジル人教員から日本語の補講を一時間受けた。それ以外は日本人の生徒と同じ授業を日本語で受けた。当初は唯一のブラジル人生徒の存在が頼もしかったが、すぐに引っ越してしまった。 日本に来て1年目は1人の友達も出来ずに終わった。一家は翌年、仕事の関係で愛知県小牧市へと引っ越した。彼は新生活への期待に胸を膨らませていたが、いざ学校へ通い始めると、先生には「ブラジルに帰れ」と言われ、同級生達からは体操服を汚されるなどのいやがらせを受けた。
そんな環境に馴染めるはずもなく、彼は不登校になった。不登校になっていることを家族に隠すため、朝早くに一度家を出て、両親が出かけた後に、また家へ戻るという生活を送った。中学3年生の時に転校したが、同様のいじめを受け、再び不登校となった。 中学卒業後、リーマンショックが世界を襲った。両親は失業し、一家は経済的窮地に陥った。彼には進学の意志があったが、家計を助けるために弁当屋で働くことを選び、良い給料を求めて職を転々とした。 徐々に日本語も上達し、絵本などの簡単なものから日本語を読み始めた。やがて日本語能力試験でN1を取得するに至った。18歳の頃、父親との喧嘩をきっかけに一人暮らしを始めた。生活費を賄うために、溶接の免許を取得し、建築関係の仕事を始めた。 転職のたびに給料は上がった。しかし「このままではずっと下っ端のままだ」とも感じていた。親戚に会うため2019年にブラジルを訪れた。久々に会う親戚は子供やパートナーを持ち、家庭を築いていた。「どうやったら自分も…」と考えながら日本へ帰国した。