青木拓磨のモータスポーツライフVol.12「2024年、レン耐は20周年を迎えました!」
1990年代に国内外のロードレースでその名を轟かせた青木三兄弟の次男、青木拓磨氏。全日本で王座に輝いた後、世界グランプリの500ccクラスにステップアップし、これからという時に1998年のテスト中の事故で下半身の自由が効かない身体になってしまいました。 【画像】レン耐の模様をギャラリーで見る(6枚) 現役の2輪レーサーとしての活動が止まってしまったものの、その後も継続的に2輪業界での活動には関わっています。その活動のひとつが「Let’sレンタバイク耐久レース(通称:レン耐)」。2024年には開催から20年という記念すべき年となりました。今回はそのレン耐について青木拓磨さんに語ってもらいます!
のべ3万人が参加するというミニバイクレース
みなさん、こんにちは。年が明けて、今年は僕が主宰している「Let’s レン耐!」が20周年を迎えることができました。ここまで続けられたのは参加者の皆さんのおかげです、ありがとうございました。 「レン耐」はその名の通り、ミニバイクをレンタルして行う耐久レースです。バイクだけではなく、革スーツやグローブ、ツナギ等の装具もレンタルしていて、初心者でも気軽に参加できるレースとなっております。 この20年でのべ約3万人がレン耐に参戦しています。特に近年は参加数も多く、昨年は約2700名、まだ新型コロナウイルス感染症拡大の影響の強かった一昨年は、なんと約2900名という皆さんにレン耐を楽しんでいただきました。 この「レン耐」を始めるきっかけとなったのは今から25年ほど前のことです。僕は当時、ホンダCBRシリーズのオーナーだけが参加できる「CBRサーキットチャレンジ」というイベントの事務局をやっていました。CBRオーナーが鈴鹿やもてぎで走行するもので、毎回非常に多くの参加者がやってきてサーキット走行を楽しんでいました。バイクでサーキットを走りたい人は多いのだなと実感していました。 でも、当時は全国各地のミニバイクコースには人がいない時代でした。バイクもあまり売れていないし、サーキットにはお客さんがいない、業界全体が衰退しているといっていい状態でした。サーキットを走行すること自体は楽しんでいるのに、みんなレースはやらないんですよね。やっぱり自分のバイクでレース、とはいかないのだろうなというのは感じていました。 「なぜミニサーキットでのレースが衰退しているのか?」については、自分なりに分析していました。その場に行ってみるとわかるんですが、遅い人たちは辞めていってしまって速い人しかいないんです。ミニサーキットもその速い人たちしかフューチャーしていないから、速い人優先の場所になっていました。速い人でなければレースをしちゃいけない、みたいな感じですね。 また、僕は群馬の子持村出身ですが、クルマで30~40分も走れば苗場スキー場があります。スキーも道具やウェアにそれなりにお金をかけなければいけませんが、手軽にできるようにレンタルも多かったです。ウェアから板までスキー場に行けばいつでもレンタルができて、装備をもっていかなくてもスキーを楽しめる。このレンタルの仕組みはスキーへのハードルを下げているなとは感じていました。 一般の人でもサーキットを走りたい、と思っている人は多い。だったらスキーのようにレンタルができたらいいんじゃないか? ということで、このレン耐はスタートしています。バイクと装具と場所を用意したらみんなレースを楽しめるんじゃないかということです。もちろん、速い人だけの世界というのを覆そうという仕組みもしっかり入れています。