「大変ご迷惑をかけました」ソ連軍「中尉」がミグ25戦闘機で函館に強行着陸 冷戦期の日本を振り回した大胆すぎる亡命劇のてん末
2枚の尾翼にソ連軍の象徴・赤い星が
「緊張の空白」が破れたのは、1時半過ぎのことだった。不気味な黒い機影が、鼓膜を突き破るような爆音とともに、函館空港の上空に現れたのだ。空港の拡張整備工事に携わっていた作業員は、腰を抜かした。 「(略)最初は、アメリカの飛行機かなあ、ぐらいに思ったんですが、マークが少し変なんですね。それでも、まさかこの空港に下りてくるとは思いませんでしたよ。戦闘機なんか縁のない空港ですからね。(略)」(「週刊新潮」昭和51年9月16日号) 1時50分過ぎ、その飛行物体は、空港上空を2回、大きく旋回した後、滑走路の真ん中あたりにするりと着陸。230メートルほどオーバーランした挙句に、芝生に突っ込んで停止した。2枚の尾翼には、ソ連軍の象徴である赤い星のマークがくっきりと見えた。 真昼の椿事。さすがは「世界最速」というべきなのか。ミグ25は、あれよという間に、日本の一地方空港に着陸した。飛行高度を急激に下げ、地上50メートルという超低空飛行に移ったため、自衛隊のレーダー網をかいくぐることができたのだった。
威嚇するかのように、拳銃を空に向けて一発
着陸したミグの機体からは、モスグリーンの戦闘服に身を包んだ1人の青年が姿を現した。ソ連極東防空軍のエリート兵士、ビクトル・イワノビッチ・ベレンコ中尉である。背が高く、がっちりした体格。地上に降り立ち、近くでカメラを構えた工事作業員の姿を見つけるや否や、威嚇するかのように、拳銃を空に向けて一発ぶっ放した。その作業員は、慌ててフィルムを抜き取って差し出した。 「機体にカバーをかけてくれ」 さらにベレンコは、押っ取り刀で駆けつけた空港職員にそう要望すると、あとはおとなしく従った。 前代未聞の異常事態を知らせる報道は、瞬く間に全世界に伝えられた。日本人の誰もが度肝を抜かれた。東西冷戦下、共産圏最強国の兵士が戦闘機で単身、ずかずかと乗り込んできたのである。北海道の漁船が、北方領土海域でソ連当局に拿捕される事件が続発した時期でもあっただけに、緊張の度合いは一気に高まった。 ミグの機体の管理とベレンコへの事情聴取は、警察が主導。軍事的な事案だとはいっても、交戦権を否定する憲法上の制約により有事法制がなかったことなどから、防衛庁・自衛隊はほとんど関わることができなかった。 「ソ連にはない自由がほしい。アメリカに行きたい」 日本に対し、ベレンコは亡命を申し出た。そして、あっさりと認められて、羽田空港からアメリカに向けて飛び去った。強行着陸から3日後のことである。