負債8億円で心を病み…希死念慮に駆られた男性が「自殺率を劇的改善『秋田モデル』を設立」奇跡の実話
国の統計では、2023年度に自殺で命を落としたのは2万1881人とされている。 自殺をする人の多くは、その直前にうつ病をはじめとした精神疾患を抱えているといわれている。仕事や生活の中で複数の要因が絡み合い、心を病んだ結果として、希死念慮が生まれ、自ら命を絶つのだ。 実際に生還した人の多くが、悩んだ末の決断というより、いつの間にか頭の中が希死念慮でいっぱいになり、他に選択の余地がなくなり、行為に及んだと語る。 日本はここ20年ほど自殺予防対策に力を入れてきた。県によって取り組み方は異なるが、中でも著しく自殺率を減らしたところがある。秋田県だ。 ここで行われている自殺対策は、「秋田モデル」と呼ばれ、広く知られるようになった。なぜ、どのように秋田県では自殺対策が行われてきたのか。社会から孤立した高齢者を描いたルポ『無縁老人』(石井光太、潮出版社)から、そのプロセスを示したい。 ◆『秋田県の憂鬱』 日本海に面した秋田県は、古くから自殺率の高い県として知られてきた。10万人当たりの自殺率が、19年連続でワースト1位を記録したことからもわかるだろう。 だが、1990年代の前半まで、秋田では自殺率がそこまで高いことすら知られていなかった。最初にそのことに目を留めたのが、秋田大学の法医学者吉岡尚文氏だった。死体検案をする中で自殺者が多いことに気がついて調査を開始し、実態を解明したのだ。 吉岡氏はこの事実を伝えるため、自殺研究の成果を『秋田県の憂鬱』という冊子にまとめて広く知らしめようとした。県内の自殺率の高さや現状を事細かに記録し、啓発活動につなげようとしたのだ。 冊子の内容は衝撃的だったが、吉岡氏の熱量とは裏腹にさほど注目されることはなかった。吉岡氏はそれにもめげず、調査をつづけて新たな冊子を配りつづける。 取り組みが日の目を見たのは、2000年前後だった。 この頃、バブル崩壊から10年近くが経ち、全国的にも自殺者の増加が話題になりつつあった。1980年代は2万人台前半だった自殺者数が、1990年代後半には3万人を突破していたのである。 そうした時代の変化の中で、地元メディアが少しずつ吉岡氏の研究を報じるようになった。秋田でも1980年代には300人台だった自殺者が、2000年代には500人を超える年も出てきたため、手を打つ必要性が高まっていたのだ。 時を同じくして民間でも自殺予防に対する取り組みがはじまった。それを牽引したのが、佐藤久男氏だった。 佐藤氏は、1943年に秋田県北部で生まれ育った。父親は会社経営者だったが、佐藤氏が小学2年生のある日、突然川の浅瀬で遺体として見つかった。死因は不明といわれたが、前日まで元気だったことから、自殺としか考えられなかったという。 父親の死をきっかけに家は貧しくなり、佐藤氏は高校を卒業すると、大学進学を諦め、県庁で働くようになる。転機はそれから7年後のことだった。彼は県庁を辞め、民間の不動産鑑定事務所へ転職し、それから独立して不動産業をはじめたのだ。父親と同様に経営者の血が流れていたのだろう。 バブル景気の追い風もあり、佐藤氏の会社はどんどん大きくなっていった。最盛期には50人の社員を抱え、年商は15億円に膨らんでいた。だが、すべてはバブル崩壊と共に砕け散る。1990年代の前半から経営は悪化の一途をたどり、’00年には負債総額が8億円に上った。 ◆自分は死ぬしかない もはや会社を維持するのは絶望的だ。佐藤氏は苦渋の決断で倒産の手続きを行うことにした。彼が心を病んだのは、それからしばらくしてのことだった。体調が悪化し、希死念慮が生まれ、1日に何度も自殺衝動に駆られた。 このままでは自分は死ぬしかない。彼は病院に駆け込み、治療を受けることで、なんとか回復の道を歩みはじめた。 時を同じくして、佐藤氏は治療の最中に経営者仲間が事業に失敗して自殺したことを知る。おそらく自分と同じプロセスで心を病んだのだろう。そう考えると、佐藤氏は居ても立ってもいられなくなった。 ――こんな悲劇を失くしたい。自分が何とかしなくては。 ’02年、佐藤氏がそんな思いから立ち上げたのがNPO法人「蜘蛛の糸」だった。ここを拠点にして、自殺願望に苦しんでいる人たちに手を差し伸べる事業を行うことにしたのである。 ただ、佐藤氏の取り組みは順風満帆だったわけではない。当初、佐藤氏は手弁当で広告を作り、面会スペースを借り、相談者と一対一で話し合うシステムを整えた。相談者の悩みに耳を傾けることが重要だと考えていた。 たしかに佐藤氏の取り組みは、相談者の心を一時的に楽にすることはできた。だが、いくら傾聴の方法を勉強し、何時間も悩みを聞いても、相談者が抱えている本質的な問題がなくなるわけではない。 たとえば、相談者が会社の倒産によって自殺を考えていたとしよう。佐藤氏が話を聞けば、その人のストレスはいく分和らぐかもしれない。だが、会社の倒産によって引き起こされる家庭の崩壊、元従業員との軋轢、借金返済といった問題が解消するわけではない。気持ちが楽になっても、問題はそのままなのだ。 本当の意味で相談者を自殺から救うには、傾聴するだけでなく、彼らが抱えている問題をなくさなくてはならないのではないか。 そう思ったが、これをするには自分だけの力では限界があった。たとえば、借金のことであれば弁護士、子どものことであれば学校、病気のことであれば病院に力を借りなければならない。つまり、多様な分野の専門家を巻き込まなければ、真の意味での自殺予防は実現しないのだ。 佐藤氏はそう考え、県内にいる様々な専門家のところを訪ね回り、自殺予防に力を貸してくれないかと頼むようになった。これが後に県内の多種多様な団体(医師会、新聞社、社協、民生、児童委員会、NPOなど)が集結する組織を生み出すことになる。 その結果、秋田県では「秋田モデル」と呼ばれる対策ができ上がるのだが、その詳しい成り立ちと内容については【後編:自殺者が激減の秋田県「悩み深き人を救う4つの取り組み」】で見ていきたい。 取材・文・PHOTO:石井光太 ’77年、東京都生まれ。ノンフィクション作家。国内外の文化、歴史、医療などをテーマに取材、執筆活動を行っている。著書に『絶対貧困』『遺体』『「鬼畜」の家』『43回の殺意』『本当の貧困の話をしよう』『格差と分断の社会地図』『ルポ 誰が国語力を殺すのか』などがある。
FRIDAYデジタル