ピアノ少女だった三宅宏実のDNAを覚醒させた16年前の転機
ウェイトリフティングの女子48キロ級で、4大会連続出場となった三宅宏実(30、いちご)が、スナッチ、クリーン&ジャークのトータルで188キロを上げて銅メダルを獲得した。ロンドン五輪の銀メダルに続く2大会連続メダルの快挙。悪化していた腰痛の影響からか、81キロから始めたスナッチでは1、2回目に失敗。3回目で失敗すれば得意とするクリーン&ジャークに進むことができなかったが、本人が「奇跡」と表現する集中力でクリア。8位からの逆転を狙ったクリーン&ジャークでも、肘がひざに当たるという反則を取られて、二回目の試技を認められない絶体絶命のピンチに追い込まれたが、3回目に107キロを上げ逆転で銅メダルを獲得した。三宅は、ひざまずいて右のバーベルをハグ、なでなでするパフォーマンスで喜びを表現した。 父で監督を務めた義行さん(70)はメキシコ五輪の銅メダリストで、叔父の義信さん(76)はローマ五輪で銀メダル、メキシコ、東京五輪で連続金メダルを獲得している。まさに三宅は重量挙げエリートの血を引くリフターだが、実は15歳までピアノ少女だったという過去がある。 三宅宏実は、生まれたときから父の影響を受けて重量挙げ選手の道を進んでいたわけではない。2人の兄が先に重量挙げの世界へ進んでいたこともあって(次男の三宅敏博さんは元全日女子監督)、三宅宏実へのプレッシャーはなく、ピアノを勉強していた。だが、「シドニー五輪の開会式をテレビで見て感動して、私もこの場所に立ってみたい」と、思ったことがきっかけで重量挙げの道へ導かれることになる。 シドニー五輪の開会式での水中聖火のシーンは美しかった。 母には反対されたが、兄に相談、父に話をすると「やりたいなら、これを持ち上げてみろ」と、リビングに転がっていた、42.5キロのバーベルを指差された。それまで音楽少女だった宏実は、スポーツ経験はほとんどなかったが、やはりDNAに遺伝子が刻まれていのだろう。簡単に持ち上げたという。 それが中学3年夏の出来事である。