百合子さま逝去 福祉に尽力、茨城県内でも 交流、感謝の声
三笠宮妃百合子さまが逝去された15日、茨城県内から追悼の声が相次いだ。百合子さまは日本赤十字社の名誉副総裁を務め、同県水戸市内で開かれた県赤十字大会に、2回出席された。県内の医療、福祉施設などを熱心に訪問、視察された。 百合子さまは1968年5月、同県坂東市生子の知的障害者支援施設「慈光学園」の創立10周年記念式典に出席した。学園の名誉理事長、中川祐聖さん(80)=同市、万蔵院住職=は「百合子さまは三笠宮さまと、この施設に目を向けてくれた。茨城県の福祉向上に影響を与えていただいた」と感謝した。 学園は58年、祐聖さんの父で前住職の祐俊さんが創立。祐俊さんは真言宗豊山派の管長を務めた。三笠宮さまと交流があったことから、ご夫妻を学園の式典に招いたという。 祐聖さんは「私は当時20代だったが、宮さまが来るということで1カ月ぐらいかけて本堂や境内をきれいにした」と回想。百合子さまについて「私の娘は人見知りが激しく父・祐俊も抱っこできなかったが、百合子さまが『おいで』と手を出すと、すーっと行って抱っこされた。そういった雰囲気をお持ちだった」と記憶を語った。 祐聖さんの妻で学園の理事長を務める隆子さん(80)は「大変おきれいで、りんとした姿が印象的だった」と、当時の様子を振り返った。 式典では、三笠宮ご夫妻がイチョウの木を学園の敷地内に植樹された。前住職が2005年に亡くなるまで、木から取れたギンナンを毎年贈るなど、ご夫妻との交流が続いたという。 祐聖さんは「当時、三笠宮ご夫妻がこの田舎の施設に来てくれるなんて誰も思わなかった。来ていただいたことで、県内でも施設や知的障害者への理解が高まったと思う。衷心よりお悔やみ申し上げます」と悼んだ。 百合子さまは、1969年9月と95年10月の2回、水戸市内で開かれた県赤十字大会に出席した。同大会で看護師ら赤十字事業の県内功労者を顕彰したほか、市内の水戸赤十字病院も訪問するなど県内の医療、福祉の状況を熱心に視察した。 95年に訪れた同病院では、婦人科の入院患者を見舞った。日赤県支部乳児院では、プレールームで遊ぶ子どもたちの様子を見学した。
茨城新聞社